2008年11月14日金曜日

目に見える効率を追いすぎると、大切なものを見失う


目に見える効率を追いすぎると、大切なものを見失う。:NBonline(日�

別のブログ(http://d.hatena.ne.jp/riesakakida/20081027)に、以前に書いたことを思い出しました。

確かに効率を求めることは必要です。けれども、行きすぎるとそのときに失うものがあるのです。

効率を求めすぎると、精神障害を持つ人はいらない、そういう発想に行きつくように思えて、こわいです。ナチスドイツはそうでした。

おそらく、効率を求めることを突き詰めると、ある時点から効率が目的となってしまい、いったい何のために効率的になることが必要だったのか、わからなくなるのではないでしょうか。言い古されたことだとわかっていますが、そう思わずにいられません。

私自身の考え方が、効率を求めすぎないようにと日々思っているのです。

そのために私がしていることというほどのことでもないですが・・・。

私は日課を作ってそれをこなすようにして暮らしています。冒頭にある本で、藤家寛子さんが著書「自閉っ子は、早期診断がお好き」(花風社)で書いておられたように、日課があると楽なのです。効率的に文献を読めるし、勉強も効率が上がりますから。


   

ただ、息子と一緒だと、日課をこなすのがままならないことがしょっちゅうあります。

もうそんな時は、「日課をこなすばっかりだと、新しいことに出会えないから、それで息子もしくは神様が、日課じゃなくて別なことしなさい、って言ってるんだ!」と言い聞かせて、心の平穏を保つのです。

書くと、つまらないことで当たり前のように思えるかもしれませんが、そうしない頃はイライラしどおしだったので。

そうすると本当に思いがけないことが起こって、楽しかったり、別なうれしさがあるのです。

私は、これを「息子もしくは神様からのプレゼント」と言っていて、日課が消化できないときに、ぶつぶつ言ってます。

これ、意外と私にはあってました。

0 件のコメント: