2010年10月5日火曜日

依存症治療とは何か?その5



医学とは学問だ、と書いた。

学問とは何か?手元の電子辞書「広辞苑」によれば以下のようになる。
「一定の理論に基づいて体系化された知識と方法」。

以下同様に、昨日書いた「普遍化」と「個別化」について調べた。
「普遍化;一般化と同じ。特殊なものを捨て、共通のものを残すことによって、一般的なもの(概念、法則)を作ること」
「個別化;一つずつ別にすること」。

医学は、学問だ。だから、普遍化することが重要なのだ。

それは必要なことであると私は思う。個別の事例ばかりを追求していたとしたら、おそらく医学によって医療はいまほど人間の死亡率を低下させなかっただろう。もっというと、犬や猫や類人猿がなぜ人間ほど死亡率が低下しないかというと医学がないからだと言っていいと私は思う。

しかし、普遍化が非常に困難であるのが依存症治療なのだ。もちろん、自助グループでのミーティングに参加することで回復率が向上する、とか、重複依存がありうるとか、普遍化された内容が全くないとは、私は言わないし、言えない。

しかし依存症の人たちはそもそも依存症であることを拒否するので(これが「否認」)、そのような普遍化されたことに自分が当てはまるとは絶対に言わない。むしろ彼らは、彼ら自身を強調する。

つまり、普遍化よりも個別化を突きつけられるのだ。

以前に書いたうちの②以下を彼らは拒否し、「自分は自分である」と個別化せよと主張する。

こんなこと、他の診療科ではありえない。胃潰瘍の患者さんが個別化を主張するなんてどう考えてもありえない。胃潰瘍の患者さんにとって、「胃潰瘍である」と診断され、治療が進み、回復することが重要なのだ。

逆にいうと、依存症治療は通常の医療から浮き上がっており、他の診療科の医師たちは依存症者を理解出来ない、という場合が多い。

私 は偶然にも普遍化された医療つまり医学的知識が自分に当てはまらなかったという経験を持っている。娘の妊娠・出産がそうなのだ。「40歳代での妊娠する確 率は「医学的」には8%。私の場合は子宮外妊娠が既往歴にあるのでそれ以下、はっきりいって6%であればいいほうだ」。

悪意はないのだろうけれども、私の子宮外妊娠の手術をした主治医のコメントだ。

娘は6%に入った。つまり彼女は94%の「非妊娠」の確率を排したのだ。

普遍化された知識からいえば94%の方が起こりやすいのだ。娘は6%を起こし、無事この世に生まれ、新生児黄疸や新生児メレナを経たものの、今現在私の横で穏やかな寝息を立てている。

私 にとっては、これは衝撃的なことなのだ。人生の半分ほど(医学部の学生時代6年+医者になって14年=20年は42歳の私の人生の半分ほどの時間だ)を 「医学」という普遍化された知識に費やしてきた私は、娘を妊娠する前は「私が妊娠することはなさそうだ」と信じていた。94%を否定出来なかったのだ。

ところが娘を妊娠して、出産して、私は普遍化された知識や事項を疑うようになり、ますます依存症治療に気持ちが傾き始めた。

私の経験は、まずおいておこう。

依存症治療は、個別化なのだ。医学知識によりあてはまる「依存症」が目の前の患者さんにある、のではなくて、その人特有のどんな経緯で「依存症」と呼ばれるような事態に至ったのか。

この点に興味がもてないのなら、依存症治療をするなんて言えないと思う。