2009年7月26日日曜日

専門医試験

 昨日は学会専門医試験でした。

 あー、だめかも・・・というのが終了直後の実感でした。基本的なことが分かってないというか、基本的なことを誤解されるようにレポートに書いてしまっていたので・・・。

 仕方がないです。私はやれることはやったので・・・。これから先は、私の力の及ぶことではないので、あとは待ちの姿勢です。

 その結果を受け入れて、この後の行動をとりたいです。

 昔はこんな風に考えられなかったので、今はこう考えられるのがうれしいですね。それが救いです。

2009年7月24日金曜日

臨床心理士さんたち

 私と一緒に仕事をしてくれる、臨床心理士さんたち。彼ら(いや、女性が多い職場ではあるのですが)がいてくれるから、外来の人はよくなっていきます。

 そして、私がそそっかしいので、いつもフォローに回ってくれます。カルテの電子化が始まって、あまりよく操作が飲み込めない時も教えてくれたり。

 そして、彼らは学校にもスクールカウンセラーとして出張するので、学校での情報もたくさん私に教えてくれます。彼らの紹介で、学校の先生たちと交流できることも多々あります。

 こんなに有能なのに、どうして国家資格じゃないのか、と不思議でなりません。

 基本はカウンセリング治療ですが、子供の場合、言葉でのやり取りが難しいこともあるので、その時にはプレイセラピーとなります。それもまた、私がやっても楽しい・・・。

 彼らがもっと仕事を楽しめるように、国にも応援してほしい今日この頃です。

2009年7月16日木曜日

「温かい死体と冷たい死体」






書評「温かい死体と冷たい死体」上野正彦著(朝日新聞出版社) 1300円(税別)

監察医としての経験を踏まえて、人がどんな亡くなり方をしたのか、その法医学的解釈を集めた本です。ノンフィクション(もちろん、プライバシーには配慮しています)が、人の想像をどれだけ越えられるか、それが体験できる本でもあります。

私は学生時代に、著者の本を読んで法医学を志したので、このおもしろさが「あのころと同じだ」と思えました。

ただ、変わったのは私のほうでした。学生時代は、私はおそらく著者に自分自身を投影していたのでしょう。人って、こんな風に人生を終えるんだ、それを突き止められるなんて、おもしろいなあと思っていたのです。

でも、今は、著者に、ではなくて、登場する「死体」やその家族に自分を合わせてしまうのです。

つまり、学生時代と違って子供がいるために、子どもの亡くなる話には、身につまされてしまい、老いを感じなくはないので、若いころには全く何でもないサウ ナや入浴で亡くなるお年寄りが身近に感じられ、ガスの元栓を閉め忘れたために浴室で一酸化炭素中毒で亡くなる人に自分のうっかりを合わせてしまいます。

自分が変わったのです。そうなると、人生が哀しいという面から見えて、以前はおよそ感じなかったせつなさがわいてきて、ああ、つらいなあと思ってしまいます。

とはいえ、結局は面白くて、読んでしまうのですが・・・。

2009年7月13日月曜日

書評「女のシゴト道」 


  


書評「女のシゴト道」大田垣晴子著(文春文庫) 590円(税別)

最近私は女子教育に目覚めています。それにピッタリな本といえるでしょう。

ここに書かれている仕事をしている人たちは30人。女の子の憧れの仕事(ケーキ職人、動物園飼育係など)から、なぜこの仕事に女性が?というような仕事(タクシードライバーとか、銭湯経営とか)、などなどさまざまです。

へえ、と思ってしまいます。仕事は人生の縮図と思えてきます。さらに、印象的なのは銭湯経営をされている方が「若いころは思ってもみなかったような」というコメントをされていることです。つまり、思い通りの仕事をされている人はあまりいないのではないかと思ったのです。

ためしにこの本で、小さい時からずっとその仕事に就きたいと思っていた人が30人中どのくらいいるのか、調べてみました。約10人。これはあまり多いとも 言えないようです。つまり残りの70%くらいの人は、自分でも思ってもみなかったような方向の仕事をしているということです。

これが女子教育とどうつながるのかといえば、ある程度教育というかものを知っていたり、思考力があれば、自分の思いと正反対の事態に陥っても、そこから別の人生を見つけていけるのではないかと思えるからです。

この本を読んでこのようなことを考えている人はいないかもしれないのですが、こういう読み方もあるだろうと思っています。

2009年7月12日日曜日

言葉にできない思いの爆発、ってなになに?何?何?

 今日は、ビデオ上映会でした。すくーるばくで行われました。

 上映ビデオはべてるの家のもので、「精神分裂病を生きる 第8巻「言葉にできない思いの爆発」」でした。

 その中に登場する「パフォーマンス」のことが懐かしく思い出されていました。

 私が浦河赤十字病院に勤めていた当時は、私にはパフォーマンスがどれであるか分かりませんでしたし、どうしてそういう行動になってしまうのか、まったく分からなかったのです。通じない医者でした。今もそうなのですが・・・。

 ただ、自分もそういう面があると、当時は思い至れなかったのです。私だってストレスがあるときには、相手を心配させて自分で自分を大事にできない分を補ってほしいという行動に至るし、それは誰でもあることなのです。

 言葉で伝えようとすると、拒絶されてしまうかもしれない、でも、行動で相手が困ることをしたら、相手が収拾をつけてくれるに違いない、だって、相手が困っているんだから、というような論理で(私の場合、ですよ)「パフォーマンス」をしていたのです。

 おそらく、浦河のべてるのメンバーたちは(そして、私も)このように自覚して、少しでも言葉で伝えようとしていたら、周りの人は拒絶しないのです。だって、周りの人にとっても、私自身は大事な人なのですから、その人が困っていて、つらくて、という状況の中で、何かを相手に伝えようとしているときに、拒絶などしようはずがないでしょう?私だって、立場が逆だったらそうなのですから。

 こんな風に言葉で書けるようになったのも、べてるのビデオのおかげだなと思います。

 もっと、べてるのビデオを観る会が全国でもあればいいのに、そうすれば、私の仕事も楽なのにとまで思ったのでした。

2009年7月9日木曜日

病棟カンファレンス

 隣の市の精神科病院に私が自分の外来に来てくれている人の入院をお願いしたい、ということが増えてきました。

 そのたびに、快く受け入れてくれるので、ありがたい限りです。

 もっとも私もその病院の非常勤職員なので、その後も患者さんがどうなったのかよくわかるので、お互いにいいのです。

 そこでは病棟のスタッフが困っているらしいのです。思春期の患者さんたちであれば、ちょっとこれまでの経験だけではなんともならないので・・・ということらしいです。
 そこで、私がその病棟のカンファレンスに参加することになりました。

 それほど頻繁にあるわけではないのですが。

 呼ばれてそういうカンファレンスに参加するのはとてもうれしいので、やったー!です。

 なんとか、自分のこれまでの経験を共有していただいて、それについての意見をいただいて、さらに診療に生かせたら、なんて、欲張りに思っています。

 何はともあれ、うきうきなのです。

2009年7月8日水曜日

未成年時に受けた虐待で成人後のがん発症リスク上昇

未成年時に受けた虐待で成人後のがん発症リスク上昇

http://mtpro.medical-tribune.co.jp/mtpronews/0907/090703.html?ap

この記事のタイトルを見て、やっぱり、と思いました。

虐待と身体の関係はどの子どもにかかわる医療関係者も、一度は思ったことがあるのではないでしょうか。

先だって、虐待と喘息の関連を書きましたが、今度はがんです・・・。

虐待と身体の関係の中では、古くは愛情はく奪症候群があります。愛情をかけて育ててもらえなかった子供は身体発達でさえ、遅れてしまうというものです。

そうなると、私自身も児童虐待にかかわっている以上、このことを念頭に置いていかなくては、と思ってしまいました。

具体的には、虐待を受けた人たちの身体的な訴えを聞いたら、他の科の医師たちと連携をとらせてもらって検査などをすることでしょう。

また、逆に今現在がんを患っている人たちの中に、子どものころ虐待を受けた、という人がいるかもしれないのですから、受診したいという希望があれば診察に入りたいですし・・・。

やはり他の科の先生たちとのコミュニケーションをもっと上手にとれるようにならなくては・・・。

2009年7月6日月曜日

愛情ある「観察」

 発達障害がある、と子供に診断されたら、あなたならどうしますか?

 私なら、あまり冷静でいられないような気がするのですが、私の外来に来てくれている家族の方たちのなかに、とても冷静な人がいて、お母さんやお父さん自らが「もしかして、うちの子、こうするといいのかも」と気がついています。

 たとえば。

 パニックになりそうな時、気分を変えていくといいのかな?と思いつき、そうして、ドライブに出かけるようにしたり、本人の好きなDVDを見せたり。

 その気付き、すごいです。

 そんな風に伝えると、お父さんもお母さんも自信がつくようです。私もいいなあと思えるのです。

 ただ、「こんな風に自分の子供を観ると、なんか、観察してるみたいで、愛情が足りないみたいで…」とおっしゃったお母さんがおられます。

 そんなことないじゃないですか!!愛情ゆえの観察でしょう!

 以前にも書いたように、おかあさんたちにはもっと自信を持ってほしいです。