2009年8月30日日曜日

JSPPセミナー

 8月28日から二泊三日で児童精神科の勉強をするJSPPセミナーに参加しています。

 私はこれまでに一度も外国で勉強をしたことはないですし、日本国内でも専門機関で勉強をしたこともないのです。だからこそ、このセミナーに毎年参加しています。

 今年は、うれしいことにさまざまな人から話しかけられました。

 私の今いる東北の場所について聞いてくれたり、私の外来の方法を聞いてくださったり。本当にうれしかったのです。

 もちろん、セミナーの内容も素晴らしいものです。

 今年は特にADHDと子供のうつという二大疾患がテーマでした。杉山登志郎先生のADHDと虐待の関連、原田謙先生のADHDから進行した反抗挑戦性障害や行為障害などの疾患にどう対応するかなどが実にわかりやすく、よかったです。

 また来年も参加したいものです。そして、来年まで自分の外来を磨いていきたいものです。

2009年8月27日木曜日

もめごと

 タイトルを見て驚かれたかもしれませんが、私が誰かともめごとを起こしてしまった、のではありません。

 先日の外来で、お母さんが紹介状を持参してお子さんを連れて受診されました。お父さんも一緒だったのです。

 紹介状を持ってきておられたこと、お母さんがかなり悩んでおられること、何より問診表に受診に家族全員賛成と書かれていたので、心理検査の予約を入れようとしました。

 最初から、はっきりきけばよかったのですが、どうも問診表を真に受けすぎたようです。予約を入れようとした時にお父さんが「検査なんて、自分はいやだ」と話し始めたのです。

 そういう場合はあるので、私は話をもっと聞こうとしたのですが、お母さんがすっかりあわててしまい、子どもさんご本人がおられる前で、ものすごいもめごとになりました。

 お互い信念があっての発言が相次ぐので、私としてはもう少し聞きたいなあと言う感じだったのですが、子どもとしてはいやではなかろうか、と思い(私自身が子供のころ親のもめごとなんて見たくなかったので)、子どもさんはプレイセラピー室を見学に行ってもらいました。

 そしてその後もなかなかに面白い話は続き、私はお父さんお母さんの意見の一致がないので、この後の方向性がいつもとは変えざるを得ず、パターンが違ってしまい勝手もわからず、困るには困ったのですが、結構楽しめました。お父さんの成育歴もわかりましたし、いいことが多かったのです。

 そして、プレイセラピー室もその子供さんにすっかり気に入ってもらえました。

 というわけで検査は保留ですが、また来てもらうことになりました。同時に学校にも来てもらえることになりました。

 もめごとって、聴く側の私が楽しんでしまえばそれまでの経過も話しやすいのかもしれません。

2009年8月12日水曜日

「お母さんを看てなくちゃ」

 外来に統合失調症のお母さんを抱えた、女の子が来てくれています。まだ10代の前半で、一番お母さんが必要な年代なのですが、残念なことにお母さんは不調です。

 お母さんはいろいろな考えがあって、お薬をやめたようなのですが、そのせいで非常に不調で、興奮しやすかったり、叫んだり、危険なことをするそうです。
 
 母方のおじいさん、おばあさんは、お母さんとすぐに衝突するので、なかなかお母さんとお話もできず、接触を避けてしまっているそうで、お母さんにとって頼りになるのは、この人のお父さんとこの人だけ・・・。お父さんには仕事がありますし、夏休みの今、彼女が日中お母さんと一緒にいて、お母さんが危険なことをしないかどうか、見守っているということなのです。

 そのせいか、夜は寝つきが悪いし、おかしなつらい夢ばかり見るし、勉強をする気にもならず、つらい、と話してくれます。

 この話、涙が出てきました。まだまだお母さんに甘えていたい年頃なのに、なぜこういうことになるんでしょうか・・・。

 お父さんにお話して、お母さんの主治医に相談しては?と持ちかけましたが、なかなかそれは実現しそうにないのです・・・。

 どうしたらいいのかと、彼女の今後が気になるのです。

 今日のブログタイトルは、彼女が外来の終わり際に言ったことです。これを聞いて余計にどうしたらいいのかわからなくなっています。
 

2009年8月10日月曜日

読書会「私たち、発達障害と生きてます」

 8月9日は、すくーるばくで読書会でした。課題図書は「私たち、発達障害と生きてます」(高森明他著、ぶどう社)でした。

 ニキ・リンコさんの著作を読んでもよくわかるのですが、発達障害だと不便そうだなという感じです。人との交流において、よくわからないというのは、人間が社会を作っているという現実にあまりに即していないといえば、そうではないでしょうか?

 しかし、発達障害があるからといって、生きていけないわけではないのですし、社会のお荷物でもないのです。

 むしろ、私たちに新たな世界を提示してくれる人たちなのです。

 私たちが困るのは、その人たちとどんなふうにコミュニケーションをとったらいいかということなのですが、そのためにお互いを知り合いましょうというのが、この本の趣旨だと思います。

 現に、この本を読んで「そんなことを考えて生きているのか!」と驚く点と、「あ、私と同じだ」と思う点があります。

 つまり、私たちと彼らとの共通点もこの本は提示してくれています。

 ちなみに私が「あ、私と同じ!」と思ったのは、アハメッド敦子さんのポケットについてのこだわり部分です。私も全く同じで、バッグを買うのに一苦労したことがあるのです。それこそ出張の際に、出張をしに行ったのか、バッグを探しに行ったのか分からなくなるくらいでした。

 共通点探しも楽しいこの本です。

2009年8月6日木曜日

書評「安楽病棟」箒木蓬生著


書評「安楽病棟」箒木蓬生著(新潮文庫) 819円(税別)

個別性と同一性。このふたつがバランスを保たなくてはならないのに、とこの本を読んでの一番最初に出てきた一言でした。

非 常に面白い本です。最初から8章ほどまでには、病棟に登場する認知症の人たちの個別のエピソードがつづられています。どれもが、その人という存在をここま でかというほど特徴づけており、まったく同じエピソードはないのです。それは、周囲の人とのかかわり方や、周囲の人からのその人への思いがあります。

こ れが個別性というものだと思います。例は、この本に登場するケーキ屋さん菊本さんだと思います。菊本さんはケーキ職人であり、この人のエピソードは、息子 のお嫁さんの立場から描かれています。この描きだす立場の人の選択も、絶妙です。本人からだけではなくて、周囲の人からの思いをあぶりだすのです。

一 方で、看護師の立場では、認知症の人たちは同じような症状を持つように描かれています。いえ、同じような困りごと、というべきでしょう。たとえば、途中で 看護師の城野さんの排尿指導についての看護研究発表の内容がありますが、これなど上述した個別性ではなくて、疾患としての同一性を描いています。このとき に、菊本さんで描かれたような個別性は問題にされません。

これが疾患としての同一性です。これがなければ、治療は進みませんし、認知症のように治療法が確立していない疾患であれば、看護や介護は同一性に目が向かなければ、とてもやれません。

医師の香月はこれを間違えてしまったのではないでしょうか。

疾 患としての同一性だけを考えるのだとすれば認知症の人は、周囲を苦しめ、自分さえも苦しんでいる疾患で、排除すべきなのかもしれないのです。しかし、この 本の中で、城野さんや看護主任がなんども実感しているように、認知症の人たちが周囲の人に与えるなにかーケアしてあげたという単純な安堵感かもしれません し、生きているだけでよいという存在そのものの是認かもしれませんし、あるいはほかのなにかーがあるのです。

認知症病棟の担当医師になっていて、香月がこれに気付くことはなかったのでしょうか。

気付けなかったのだと、私は思います。香月という人は「良い医者」であろうとしたのでしょうが、あくまでも「あろうとした」だけなのでしょう。いえ、「良い医者」として、治療をやろうとすればするほど、認知症を受け入れられなくなったのでしょう。

人として、この人たちが自分の未来を包含していると、だからこそ、この人たちとともに生きる時間が必要なのだと、そのように受容できなかったのかもしれません。

香月本人だけの問題ではなくて、医者全体の問題です。それを突き付けられたのでした。

2009年8月5日水曜日

摂食障害の女の子

 先だっての外来で、摂食障害の女の子がやってきました。かなり痩せていて、BMIは12.1でした。

 私はお定まりのように「体に悪いから、ごはん食べるようにしょうね」と言いかけて、やめました。このように話して、実際に食べるようになれた人に会ったことがなかったからです。

 彼女ともう少し話をしてみました。よく聞くと、数ヶ月前にクラスの男の子から「太ってる」と笑われてしまったこと、部活で今までの仲よしの子たちとうまくいかなくなったこと、進級してクラスが変わって緊張していること、お母さんが最近転職してあまり家にいないのでさみしいこと、などなど・・・。

 状況があまりよくなくて、それを何とか変えたいと思っている、どうもそのようでした。彼女にそう聞くと、小さくうなづいていました。

 まだまだ10代の前半の彼女にとって、体に悪いから、といっても何ら説得力がない、と実感しました。

 そこで、次のように伝えてみました。「カッコよくやせられたら、いいよね」。

 彼女がどう思ったか、よくわからないのですが、この話には彼女はOKをくれました。そういうわけで、今、彼女は拒食をしたり、過食をしながらも外来に通ってくれています。

 うれしいことに、随分いろいろと話してくれますし、お父さんやお母さんにもそうらしいです。

 この後、どう彼女が変化するかわからないですが、その変化を見せてもらえたら嬉しいです。