2009年12月18日金曜日

仕事ノート

 先日斎藤孝さんの「勉強力」を読みました。

 感想はいずれこちらに・・http://seizsakaki.blog75.fc2.com/と思っていますが、まだです。

 その中で、「仕事ノート」を作るといい、と勧めていらっしゃいました。

 私もこうしてブログを書いていますが、どうしても記憶のみに頼ると、結局何を感じたのか、どう書きたいのかが分からなくなるので、外来の合間にこれをつけてみることにしました。

 体調が悪い時にも、このようにノートをつけると、ブログに書きたいことを忘れずにいられます。これが私にとって最大の利点でした。

 今後このノートの内容がブログに生きるといいな、と思っていますが、どうなりますか・・・。

2009年11月12日木曜日

発達障害な私


昨日は県内のY市の養護教諭会のお招きで、講演させていただきました。

講演は勉強になります。自分の知っていることを熱心に聞いてくれる人がいるのは、うれしくてありがたいですし、かつ自分が本当にどのくらいのことを知っているのかが自分に分かるからです。

今回の講演でつくづく感じたのは、私自身が発達障害だということでしょうか・・・。

厳密にどういう分類に入るのかよくわからないのですが、そうなのでしょう。

例えば、子どものころにスキップができませんでした。2歳くらいならいざ知らず、小学生になってもそうでした。これははっきりと「講座 子どもの心療科」という本に書かれている診断事項なので、私が発達障害なのは明らかでしょう。スキップができないために、運動会の練習で同級生にあざけられ、先生には叱られるというわけのわからない事態になっていきました。私は単に全然できないので、練習をしたのですが、たった一人でした。せめて、誰か学校の先生が一緒だったらどれほど支えられたかと思うのですが・・・。

そして、あまりにも運動能力が低い!!スキップもさることながら、自転車には小学校4年生まで乗れず、走るのも下手。速い、遅いの問題ではなくて、「下手」。走り方がおかしいという感じでした。縄跳びもできず、団体のタイプがダメ。必ず私で引っかかってしまい、大ブーイングを浴びてしまいます。球技も下手で、ほとんど私がいるだけで負けてしまい・・・。どれもわざとではないのに。

 そして感覚過敏があります。嗅覚過敏が主ですが、当時の家の二階で私が読書していても、階下の母がつくっている夕飯メニューが香りでわかってしまうものでした。これは、この先の見通しがついていいものでした。

そう、見通し。見通しがつかないところでは私は、不安になってしまい、攻撃的になったり、被害的になったり、忙しいのです。だから学校の授業は大変でした。耳で聴いて何かを理解できないのです。視覚化、つまりプリントでこの先どうなるのかが分かるとかなり安心して、課題に取り組めるのですが、そうでないとわけがわからず、混乱してしまい、固まるのです。小学校3年生での百マス計算で、先生が説明するのですが、全然理解できないのです。。意味が伝わらないのです。そして説明後、「さあ、やりましょう」といわれてしまい、頭が白くなって、固まっているとまったくできない・・・。

おそらく当時の先生たちは、発達障害なんて私に対して思ったこともなかったのでしょう。だから私に対してできないこと(脳の構造上かなりのハンディを持っていること)を強要したのだろうと思います。でも、こういう強要は、たとえ発達障害のない子供に対しても、しない方がいいと私は思います。強要されてしまうと、子どもはがっくりとくるように思えます。私の感覚でいうと、発達が伸びにくくなる感じであり、それでいいわけもないと私は思うからです。

強要した方が、大人はらくです。でも、そうじゃないのではないでしょうか。

発達障害を持つ子供への対応がずいぶん取りざたされるのですけれども、そういう子どもたちだけが対応が必要ってわけじゃないと私には思えます。

2009年11月6日金曜日

生きてます

 10月はまるまるこのブログを更新せず、ご心配かけました。

 精神科の外来の日常とは、やや離れたプライベートの話ですが、このたびめでたく妊娠したので、つわりに苦しんでいました。

 それでブログの更新が滞ってしまったのでした。

 もちろん、つわりがあっても外来はしているのですが、外来中は「お、今日は体調がいいからブログをかけそう」と思っても、外来終了後にかなりの疲労感と、吐き気・嘔吐があるので、全然書けずにいました。

 今はすっかりいいわけでもなく、また別に今度は眠れないという妊娠の初期に見られる状況があるのですが、眠れないときにブログを書く余裕は生まれつつあります。

 というわけでまた少し筒更新していきたいので、よろしくお願いします。

2009年9月25日金曜日

「どっちも嫌なんです」

 かれこれ彼女とは5年の付き合いです。お会いした時は高校生でした。

 彼女の最初の主治医は私ではありませんでした。その医師は彼女の激しい幻覚妄想状態と、死に近いのではとはらはらするようなリストカット(全身をリストカットするので、リストと言う単語が正しいかわかりませんが)、過食・嘔吐、解離状態、思考障害、全く常識的と言えない(とカルテにありました)ファッションをみて、「統合失調症」と診断したようです。

 彼女は障害年金を受給していて、その診断名も「統合失調症」です。

 でも私は彼女にお会いして、3,4年後から彼女の診断は発達障害ではないか、と感じていました。激しい幻覚妄想状態やリストカットは、状況になじめなくなった発達障害の人にも見られるし、解離状態も自分を守るために発達障害の人たちはよく講じる方法です。思考障害は認知的に偏りがあるという意味かもしれないし、ファッションは好みだし・・・(当初はゴスロリ、でした。最近はミニスカートをどこまで短くできるかに凝っているようです)。

 つい先日、この話を彼女としました。それでニキ・リンコさんの本を勧めました。

 先週は、リストカットがことに激しくて、ひさしぶりに全身でしたし、過食・嘔吐も一日10回やっていたそうでした。救急外来にも受診して、本人も家族も大変だったようです。

 そしてつい最近の受診でした。

 彼女「ニキ・リンコさんの本、読みました。当てはまり過ぎて。特に、いつトイレに行ったらいいのか分からないってところ。トイレに行きたいのはわかるけど、いつ行ったらいいのか、と言うあたりが・・・」。
 私「そうかあ。ところで、読んでみてあなたにとって、統合失調症と発達障害と、どっちの方がいわれて楽って、あるのかしら?」
 彼女「どっちも嫌なんです。嫌です」。

 それはそうだよなあと、はた、と思いました。どっちにしても彼女にとっては自分をコントロールできるようになる方法を即教えてくれるものではないからです。

 統合失調症も発達障害も医者が彼女の気持ちを聞いてつけたものではないし、いわば彼女の気持ちを度外視してかってに医者がくっつけた邪魔ものでしかない・・・。

 それでも、発達障害かと思っている、と言った私に、ニキ・リンコさんの本をわざわざ買って読んで「当てはまっている」と言ってくれた彼女は、すごいと改めて思いました。

 ちょっとぶっきらぼうでとっつきにくいといえば、そうなんですが、彼女は精一杯私がどうしてそう考えたのか、知ろうとしてくれたのです。

 うれしかったし、こういう気持ちを活かしたいなあと思えました。

2009年9月17日木曜日

摂食障害の女の子と

 1年ほど、摂食障害(拒食型)の人と外来でお会いしてきました。10歳代の女の子です。

 でもさすがにBMIが14なので、入院を勧めました。先週のことです。

 今日、ご了承をいただいて入院していただくことになりました。われながら、1年前からBMIが14の人とはらはらしながらよく付き合ったなあと思いました。

 でも、摂食障害の人らしく、頑張り屋さんで、張り切って活動する人なのです。

 退院して、ゆっくりというペースをつかんでもらえたらなあと思って、後姿を見てました。

2009年9月7日月曜日

方言

 私の住んでいるところは、東北地方なので方言がはっきりわかります。私としては楽しくて好きなので、いつも使いたいのですが、この地方にずっと住んでいる人たちにとって、方言=カジュアル、標準語=フォーマルのようです。

 外来でお母さんたちも当然のように標準語で話してくれます。でもだんだんと私と会い続けているうちに、方言が出てくるようになるのです。

 そうなると私も、おお、ついに私もカジュアルとして認められた、日常の中に入ったのだなあとうれしくなるのです。

 ある不登校の女の子のお母さんが彼女と一緒に来てくれています。お母さんは、私と会うときはたいてい緊張するようでした。いつもいつも、丁寧な標準語で慎重にお話をしてくれるのです。それはありがたいのですが、もうすこしゆっくりしてくれても・・・と私は勝手に思っていました。

 先日のことですが、前述のお母さんと外来でお会いする機会がありました。なんと家でおばあちゃんが転倒して骨折してしまい、家事をするためにお母さんが職場から介護休暇をとって家にいるというお話でした。でもそのときに、外来に来てくれている彼女がとてもしっかりして、お母さんと一緒に家事(炊事も含む)をしてくれるので、本当にありがたいし嬉しいということでした。

 このお話の間中、お母さん、方言を使っていたのです。なんだか、私もお母さんと少し距離が近くなったように思えてうれしかったです。

 まだまだ彼女も外来に来たい、と言ってくれているので、またお母さんと会う機会があるでしょう。また方言でお話ししてほしいです。

2009年8月30日日曜日

JSPPセミナー

 8月28日から二泊三日で児童精神科の勉強をするJSPPセミナーに参加しています。

 私はこれまでに一度も外国で勉強をしたことはないですし、日本国内でも専門機関で勉強をしたこともないのです。だからこそ、このセミナーに毎年参加しています。

 今年は、うれしいことにさまざまな人から話しかけられました。

 私の今いる東北の場所について聞いてくれたり、私の外来の方法を聞いてくださったり。本当にうれしかったのです。

 もちろん、セミナーの内容も素晴らしいものです。

 今年は特にADHDと子供のうつという二大疾患がテーマでした。杉山登志郎先生のADHDと虐待の関連、原田謙先生のADHDから進行した反抗挑戦性障害や行為障害などの疾患にどう対応するかなどが実にわかりやすく、よかったです。

 また来年も参加したいものです。そして、来年まで自分の外来を磨いていきたいものです。

2009年8月27日木曜日

もめごと

 タイトルを見て驚かれたかもしれませんが、私が誰かともめごとを起こしてしまった、のではありません。

 先日の外来で、お母さんが紹介状を持参してお子さんを連れて受診されました。お父さんも一緒だったのです。

 紹介状を持ってきておられたこと、お母さんがかなり悩んでおられること、何より問診表に受診に家族全員賛成と書かれていたので、心理検査の予約を入れようとしました。

 最初から、はっきりきけばよかったのですが、どうも問診表を真に受けすぎたようです。予約を入れようとした時にお父さんが「検査なんて、自分はいやだ」と話し始めたのです。

 そういう場合はあるので、私は話をもっと聞こうとしたのですが、お母さんがすっかりあわててしまい、子どもさんご本人がおられる前で、ものすごいもめごとになりました。

 お互い信念があっての発言が相次ぐので、私としてはもう少し聞きたいなあと言う感じだったのですが、子どもとしてはいやではなかろうか、と思い(私自身が子供のころ親のもめごとなんて見たくなかったので)、子どもさんはプレイセラピー室を見学に行ってもらいました。

 そしてその後もなかなかに面白い話は続き、私はお父さんお母さんの意見の一致がないので、この後の方向性がいつもとは変えざるを得ず、パターンが違ってしまい勝手もわからず、困るには困ったのですが、結構楽しめました。お父さんの成育歴もわかりましたし、いいことが多かったのです。

 そして、プレイセラピー室もその子供さんにすっかり気に入ってもらえました。

 というわけで検査は保留ですが、また来てもらうことになりました。同時に学校にも来てもらえることになりました。

 もめごとって、聴く側の私が楽しんでしまえばそれまでの経過も話しやすいのかもしれません。

2009年8月12日水曜日

「お母さんを看てなくちゃ」

 外来に統合失調症のお母さんを抱えた、女の子が来てくれています。まだ10代の前半で、一番お母さんが必要な年代なのですが、残念なことにお母さんは不調です。

 お母さんはいろいろな考えがあって、お薬をやめたようなのですが、そのせいで非常に不調で、興奮しやすかったり、叫んだり、危険なことをするそうです。
 
 母方のおじいさん、おばあさんは、お母さんとすぐに衝突するので、なかなかお母さんとお話もできず、接触を避けてしまっているそうで、お母さんにとって頼りになるのは、この人のお父さんとこの人だけ・・・。お父さんには仕事がありますし、夏休みの今、彼女が日中お母さんと一緒にいて、お母さんが危険なことをしないかどうか、見守っているということなのです。

 そのせいか、夜は寝つきが悪いし、おかしなつらい夢ばかり見るし、勉強をする気にもならず、つらい、と話してくれます。

 この話、涙が出てきました。まだまだお母さんに甘えていたい年頃なのに、なぜこういうことになるんでしょうか・・・。

 お父さんにお話して、お母さんの主治医に相談しては?と持ちかけましたが、なかなかそれは実現しそうにないのです・・・。

 どうしたらいいのかと、彼女の今後が気になるのです。

 今日のブログタイトルは、彼女が外来の終わり際に言ったことです。これを聞いて余計にどうしたらいいのかわからなくなっています。
 

2009年8月10日月曜日

読書会「私たち、発達障害と生きてます」

 8月9日は、すくーるばくで読書会でした。課題図書は「私たち、発達障害と生きてます」(高森明他著、ぶどう社)でした。

 ニキ・リンコさんの著作を読んでもよくわかるのですが、発達障害だと不便そうだなという感じです。人との交流において、よくわからないというのは、人間が社会を作っているという現実にあまりに即していないといえば、そうではないでしょうか?

 しかし、発達障害があるからといって、生きていけないわけではないのですし、社会のお荷物でもないのです。

 むしろ、私たちに新たな世界を提示してくれる人たちなのです。

 私たちが困るのは、その人たちとどんなふうにコミュニケーションをとったらいいかということなのですが、そのためにお互いを知り合いましょうというのが、この本の趣旨だと思います。

 現に、この本を読んで「そんなことを考えて生きているのか!」と驚く点と、「あ、私と同じだ」と思う点があります。

 つまり、私たちと彼らとの共通点もこの本は提示してくれています。

 ちなみに私が「あ、私と同じ!」と思ったのは、アハメッド敦子さんのポケットについてのこだわり部分です。私も全く同じで、バッグを買うのに一苦労したことがあるのです。それこそ出張の際に、出張をしに行ったのか、バッグを探しに行ったのか分からなくなるくらいでした。

 共通点探しも楽しいこの本です。

2009年8月6日木曜日

書評「安楽病棟」箒木蓬生著


書評「安楽病棟」箒木蓬生著(新潮文庫) 819円(税別)

個別性と同一性。このふたつがバランスを保たなくてはならないのに、とこの本を読んでの一番最初に出てきた一言でした。

非 常に面白い本です。最初から8章ほどまでには、病棟に登場する認知症の人たちの個別のエピソードがつづられています。どれもが、その人という存在をここま でかというほど特徴づけており、まったく同じエピソードはないのです。それは、周囲の人とのかかわり方や、周囲の人からのその人への思いがあります。

こ れが個別性というものだと思います。例は、この本に登場するケーキ屋さん菊本さんだと思います。菊本さんはケーキ職人であり、この人のエピソードは、息子 のお嫁さんの立場から描かれています。この描きだす立場の人の選択も、絶妙です。本人からだけではなくて、周囲の人からの思いをあぶりだすのです。

一 方で、看護師の立場では、認知症の人たちは同じような症状を持つように描かれています。いえ、同じような困りごと、というべきでしょう。たとえば、途中で 看護師の城野さんの排尿指導についての看護研究発表の内容がありますが、これなど上述した個別性ではなくて、疾患としての同一性を描いています。このとき に、菊本さんで描かれたような個別性は問題にされません。

これが疾患としての同一性です。これがなければ、治療は進みませんし、認知症のように治療法が確立していない疾患であれば、看護や介護は同一性に目が向かなければ、とてもやれません。

医師の香月はこれを間違えてしまったのではないでしょうか。

疾 患としての同一性だけを考えるのだとすれば認知症の人は、周囲を苦しめ、自分さえも苦しんでいる疾患で、排除すべきなのかもしれないのです。しかし、この 本の中で、城野さんや看護主任がなんども実感しているように、認知症の人たちが周囲の人に与えるなにかーケアしてあげたという単純な安堵感かもしれません し、生きているだけでよいという存在そのものの是認かもしれませんし、あるいはほかのなにかーがあるのです。

認知症病棟の担当医師になっていて、香月がこれに気付くことはなかったのでしょうか。

気付けなかったのだと、私は思います。香月という人は「良い医者」であろうとしたのでしょうが、あくまでも「あろうとした」だけなのでしょう。いえ、「良い医者」として、治療をやろうとすればするほど、認知症を受け入れられなくなったのでしょう。

人として、この人たちが自分の未来を包含していると、だからこそ、この人たちとともに生きる時間が必要なのだと、そのように受容できなかったのかもしれません。

香月本人だけの問題ではなくて、医者全体の問題です。それを突き付けられたのでした。

2009年8月5日水曜日

摂食障害の女の子

 先だっての外来で、摂食障害の女の子がやってきました。かなり痩せていて、BMIは12.1でした。

 私はお定まりのように「体に悪いから、ごはん食べるようにしょうね」と言いかけて、やめました。このように話して、実際に食べるようになれた人に会ったことがなかったからです。

 彼女ともう少し話をしてみました。よく聞くと、数ヶ月前にクラスの男の子から「太ってる」と笑われてしまったこと、部活で今までの仲よしの子たちとうまくいかなくなったこと、進級してクラスが変わって緊張していること、お母さんが最近転職してあまり家にいないのでさみしいこと、などなど・・・。

 状況があまりよくなくて、それを何とか変えたいと思っている、どうもそのようでした。彼女にそう聞くと、小さくうなづいていました。

 まだまだ10代の前半の彼女にとって、体に悪いから、といっても何ら説得力がない、と実感しました。

 そこで、次のように伝えてみました。「カッコよくやせられたら、いいよね」。

 彼女がどう思ったか、よくわからないのですが、この話には彼女はOKをくれました。そういうわけで、今、彼女は拒食をしたり、過食をしながらも外来に通ってくれています。

 うれしいことに、随分いろいろと話してくれますし、お父さんやお母さんにもそうらしいです。

 この後、どう彼女が変化するかわからないですが、その変化を見せてもらえたら嬉しいです。

2009年7月26日日曜日

専門医試験

 昨日は学会専門医試験でした。

 あー、だめかも・・・というのが終了直後の実感でした。基本的なことが分かってないというか、基本的なことを誤解されるようにレポートに書いてしまっていたので・・・。

 仕方がないです。私はやれることはやったので・・・。これから先は、私の力の及ぶことではないので、あとは待ちの姿勢です。

 その結果を受け入れて、この後の行動をとりたいです。

 昔はこんな風に考えられなかったので、今はこう考えられるのがうれしいですね。それが救いです。

2009年7月24日金曜日

臨床心理士さんたち

 私と一緒に仕事をしてくれる、臨床心理士さんたち。彼ら(いや、女性が多い職場ではあるのですが)がいてくれるから、外来の人はよくなっていきます。

 そして、私がそそっかしいので、いつもフォローに回ってくれます。カルテの電子化が始まって、あまりよく操作が飲み込めない時も教えてくれたり。

 そして、彼らは学校にもスクールカウンセラーとして出張するので、学校での情報もたくさん私に教えてくれます。彼らの紹介で、学校の先生たちと交流できることも多々あります。

 こんなに有能なのに、どうして国家資格じゃないのか、と不思議でなりません。

 基本はカウンセリング治療ですが、子供の場合、言葉でのやり取りが難しいこともあるので、その時にはプレイセラピーとなります。それもまた、私がやっても楽しい・・・。

 彼らがもっと仕事を楽しめるように、国にも応援してほしい今日この頃です。

2009年7月16日木曜日

「温かい死体と冷たい死体」






書評「温かい死体と冷たい死体」上野正彦著(朝日新聞出版社) 1300円(税別)

監察医としての経験を踏まえて、人がどんな亡くなり方をしたのか、その法医学的解釈を集めた本です。ノンフィクション(もちろん、プライバシーには配慮しています)が、人の想像をどれだけ越えられるか、それが体験できる本でもあります。

私は学生時代に、著者の本を読んで法医学を志したので、このおもしろさが「あのころと同じだ」と思えました。

ただ、変わったのは私のほうでした。学生時代は、私はおそらく著者に自分自身を投影していたのでしょう。人って、こんな風に人生を終えるんだ、それを突き止められるなんて、おもしろいなあと思っていたのです。

でも、今は、著者に、ではなくて、登場する「死体」やその家族に自分を合わせてしまうのです。

つまり、学生時代と違って子供がいるために、子どもの亡くなる話には、身につまされてしまい、老いを感じなくはないので、若いころには全く何でもないサウ ナや入浴で亡くなるお年寄りが身近に感じられ、ガスの元栓を閉め忘れたために浴室で一酸化炭素中毒で亡くなる人に自分のうっかりを合わせてしまいます。

自分が変わったのです。そうなると、人生が哀しいという面から見えて、以前はおよそ感じなかったせつなさがわいてきて、ああ、つらいなあと思ってしまいます。

とはいえ、結局は面白くて、読んでしまうのですが・・・。

2009年7月13日月曜日

書評「女のシゴト道」 


  


書評「女のシゴト道」大田垣晴子著(文春文庫) 590円(税別)

最近私は女子教育に目覚めています。それにピッタリな本といえるでしょう。

ここに書かれている仕事をしている人たちは30人。女の子の憧れの仕事(ケーキ職人、動物園飼育係など)から、なぜこの仕事に女性が?というような仕事(タクシードライバーとか、銭湯経営とか)、などなどさまざまです。

へえ、と思ってしまいます。仕事は人生の縮図と思えてきます。さらに、印象的なのは銭湯経営をされている方が「若いころは思ってもみなかったような」というコメントをされていることです。つまり、思い通りの仕事をされている人はあまりいないのではないかと思ったのです。

ためしにこの本で、小さい時からずっとその仕事に就きたいと思っていた人が30人中どのくらいいるのか、調べてみました。約10人。これはあまり多いとも 言えないようです。つまり残りの70%くらいの人は、自分でも思ってもみなかったような方向の仕事をしているということです。

これが女子教育とどうつながるのかといえば、ある程度教育というかものを知っていたり、思考力があれば、自分の思いと正反対の事態に陥っても、そこから別の人生を見つけていけるのではないかと思えるからです。

この本を読んでこのようなことを考えている人はいないかもしれないのですが、こういう読み方もあるだろうと思っています。

2009年7月12日日曜日

言葉にできない思いの爆発、ってなになに?何?何?

 今日は、ビデオ上映会でした。すくーるばくで行われました。

 上映ビデオはべてるの家のもので、「精神分裂病を生きる 第8巻「言葉にできない思いの爆発」」でした。

 その中に登場する「パフォーマンス」のことが懐かしく思い出されていました。

 私が浦河赤十字病院に勤めていた当時は、私にはパフォーマンスがどれであるか分かりませんでしたし、どうしてそういう行動になってしまうのか、まったく分からなかったのです。通じない医者でした。今もそうなのですが・・・。

 ただ、自分もそういう面があると、当時は思い至れなかったのです。私だってストレスがあるときには、相手を心配させて自分で自分を大事にできない分を補ってほしいという行動に至るし、それは誰でもあることなのです。

 言葉で伝えようとすると、拒絶されてしまうかもしれない、でも、行動で相手が困ることをしたら、相手が収拾をつけてくれるに違いない、だって、相手が困っているんだから、というような論理で(私の場合、ですよ)「パフォーマンス」をしていたのです。

 おそらく、浦河のべてるのメンバーたちは(そして、私も)このように自覚して、少しでも言葉で伝えようとしていたら、周りの人は拒絶しないのです。だって、周りの人にとっても、私自身は大事な人なのですから、その人が困っていて、つらくて、という状況の中で、何かを相手に伝えようとしているときに、拒絶などしようはずがないでしょう?私だって、立場が逆だったらそうなのですから。

 こんな風に言葉で書けるようになったのも、べてるのビデオのおかげだなと思います。

 もっと、べてるのビデオを観る会が全国でもあればいいのに、そうすれば、私の仕事も楽なのにとまで思ったのでした。

2009年7月9日木曜日

病棟カンファレンス

 隣の市の精神科病院に私が自分の外来に来てくれている人の入院をお願いしたい、ということが増えてきました。

 そのたびに、快く受け入れてくれるので、ありがたい限りです。

 もっとも私もその病院の非常勤職員なので、その後も患者さんがどうなったのかよくわかるので、お互いにいいのです。

 そこでは病棟のスタッフが困っているらしいのです。思春期の患者さんたちであれば、ちょっとこれまでの経験だけではなんともならないので・・・ということらしいです。
 そこで、私がその病棟のカンファレンスに参加することになりました。

 それほど頻繁にあるわけではないのですが。

 呼ばれてそういうカンファレンスに参加するのはとてもうれしいので、やったー!です。

 なんとか、自分のこれまでの経験を共有していただいて、それについての意見をいただいて、さらに診療に生かせたら、なんて、欲張りに思っています。

 何はともあれ、うきうきなのです。

2009年7月8日水曜日

未成年時に受けた虐待で成人後のがん発症リスク上昇

未成年時に受けた虐待で成人後のがん発症リスク上昇

http://mtpro.medical-tribune.co.jp/mtpronews/0907/090703.html?ap

この記事のタイトルを見て、やっぱり、と思いました。

虐待と身体の関係はどの子どもにかかわる医療関係者も、一度は思ったことがあるのではないでしょうか。

先だって、虐待と喘息の関連を書きましたが、今度はがんです・・・。

虐待と身体の関係の中では、古くは愛情はく奪症候群があります。愛情をかけて育ててもらえなかった子供は身体発達でさえ、遅れてしまうというものです。

そうなると、私自身も児童虐待にかかわっている以上、このことを念頭に置いていかなくては、と思ってしまいました。

具体的には、虐待を受けた人たちの身体的な訴えを聞いたら、他の科の医師たちと連携をとらせてもらって検査などをすることでしょう。

また、逆に今現在がんを患っている人たちの中に、子どものころ虐待を受けた、という人がいるかもしれないのですから、受診したいという希望があれば診察に入りたいですし・・・。

やはり他の科の先生たちとのコミュニケーションをもっと上手にとれるようにならなくては・・・。

2009年7月6日月曜日

愛情ある「観察」

 発達障害がある、と子供に診断されたら、あなたならどうしますか?

 私なら、あまり冷静でいられないような気がするのですが、私の外来に来てくれている家族の方たちのなかに、とても冷静な人がいて、お母さんやお父さん自らが「もしかして、うちの子、こうするといいのかも」と気がついています。

 たとえば。

 パニックになりそうな時、気分を変えていくといいのかな?と思いつき、そうして、ドライブに出かけるようにしたり、本人の好きなDVDを見せたり。

 その気付き、すごいです。

 そんな風に伝えると、お父さんもお母さんも自信がつくようです。私もいいなあと思えるのです。

 ただ、「こんな風に自分の子供を観ると、なんか、観察してるみたいで、愛情が足りないみたいで…」とおっしゃったお母さんがおられます。

 そんなことないじゃないですか!!愛情ゆえの観察でしょう!

 以前にも書いたように、おかあさんたちにはもっと自信を持ってほしいです。

2009年6月25日木曜日

喘息と虐待

 小児喘息。私も以前にかかっていました。成長してから、改善しましたが・・・。

 でも、外来に来る虐待を受けている子供のほとんどが、喘息を持っています。少なくとも、喘息にかかったことがあるということなのです。

 精神的なストレスで喘息が悪化する傾向があるので、虐待を受けている子供たちが離間するのは当然かと思います。

 10年以上虐待を受けていた方がそもそも私の外来に来てくれるようになったきっかけも、喘息発作でした。

 虐待を受けている子供たちは、なかなか「虐待がある」とは訴えません。でも、体は訴えているんだなあと思います。

 もちろん、喘息がある⇒虐待がある、にはなりません。

 虐待がある⇒喘息がある、ということが多い、ということです、念のため。

2009年6月19日金曜日

書評「風花病棟」帚木蓬生著(新潮社) 

書評「風花病棟」帚木蓬生著(新潮社) 1500円(税別)

現役の精神科医が作家としても活躍する、ということはなにも珍しいことではありません。考えれば思いつく人が多いことでしょう。

著者もその中の一人かもしれません。

ただ、私が読んでみて感じたのは、構成のしっかりした短編を「物語」としての醍醐味を損ねずに供することができる人は著者ほどにはおらなかった、ということです。

10編ある「物語」がひとつもわが身に置き換えられない人はいないと思うのです。医者かそうでないかはべつにしても、です。

戦争、男女間暴力、癌、リタイア、などなど、さまざまな「味」を著者は出してくれます。

その中で私が一番気に入ったのは、「ショットグラス」と「藤籠」です。

「ショットグラス」では、男性からの暴力(社会的、身体的)なものに対して、女性はどう対抗するか、を考えさせてくれます。自分を大切にするとはどういう意味か、ということも、私は考えてしまいました。

「藤籠」では、前半部分は私自身医者になってから悩んだことですが、ラストの段落が衝撃的でした。もしも自分が同じ立場だったら、どれほど自分のなしたこと、ひいては、子どもにとって自分が親でよかったのか、ということも考えてしまうことでしょう。

そうです。この本は「考える」ということを、「味」として出してくれる稀有な本なのです。

2009年6月10日水曜日

DVの被害にあっている方とお会いするとき

  最近、DVの被害にあっている方とお会いすることが多いです。

 その際に思うのが、それまで自分が思っていたDV=加害者の夫から逃げる、という方法もいいのですが、その単純化が被害にあっている方本人にとってはつらくなることがあるかもしれない、ということです。

 どういうことかというと・・・。

 DVにあっているからといっても、加害者と被害者はつきつめると夫婦なのです。一度は、この後一生仲良くしよう、一緒に暮らして、幸せになろう、と約束しあった二人なのです。そうなると、二人の間には歴史もあるし(もちろん、DVの歴史ですが、暴力の間にはよい関係の時代もあったと当事者には思えてしまうのです)、子供もいるし、となります。

 そうなると、どうしてもすぐに離婚、夫から逃げる、という考え方にはなりにくいと思うのです。

 私は、そういう人たちには今後の人生、結婚生活を続けるかどうかを、DVの被害にあっている人本人に考えてもらうというスタンスをとっています。

 その方が、私もその方も楽だと思うからです。

 実際その方には、今後の生活のことを考えなくてはならないなどプレッシャーも多いのでその方にっては楽ではないかもしれませんが、自分の人生に向き合っていくことは、必要ではないでしょうか?

 今後の人生を考えるときに、苦しい症状やつらい症状(主に精神的なものですが)があると、考えにくいので、症状がマイルドになるお手伝いをするのが私、という役目をとらせてもらいます。

 そして、今後の人生を一緒に考えていけたらいいですね、というスタンスです。

 その方が、私には合っているスタンスのようです。

 立場が逆なら、私はそういう医者を選びたいですし・・・。

 実際にそうなれているかは、まだまだですが、今後の課題です。

2009年6月7日日曜日

子育てが間違っていた・・・というわけではないのですが

 前回の続きです。 

 20歳代になってから、発達障害かもしれないという診断となった場合、本人も大変でしょうけれども周囲も大変なのです。
 
 つまり、もう一度診断をはっきりさせるために、子どものころのことを親御さん世代に思い出してもらう必要があるからです。

 そうなると、記憶があいまいなのは当然ですが、「いまさらそんな、この人の育て方がダメだといわれたって・・・」というような反応になってしまうことが多いものです。

 そうなると、私から御本人を通じて外来にきて、検査(PARS;pervasive developmental disorder rating scales;広汎性発達障害評定尺度という聞き取りタイプのもの)をしたいのですが、と伝えてもなかなか外来に来てはいただけません。

 私としては、発達障害であれば、カウンセリングやグループセラピーがメインとなりますし、うつ病のみであれば、お薬がメインになってきますから、治療方針を決めるのに大事なことなのですが、自分の今までのことを責められてしまうのではないか、と怖がってしまう親御さん世代が多いようで、なかなかうまく進みません。

 どうやったらいいものかなあと、考えているのですが・・・。
 

2009年5月31日日曜日

発達障害とうつ

 私の外来に来てくれている方は大人も多いです。大人で、うつの人も多いのです。

 女医さん希望で来てくれる人もいます。女性に多いですが。

 その中で、発達障害の人たちがおられます。

 当然ですね。発達障害のある「子供」もいつしか、「大人」になるのです。しかも発達障害をもって。つまり、うつの人たちの中に、発達障害の人たちがかなりいるのです。

 驚かれるかもしれませんが、発達障害があってうつがある人たちはたいていが女性です。おそらくですが、以前から私が言っていることなのですが、発達障害のうち男の子で目立つタイプは、言語発達が遅いタイプなので(自閉症圏内と思しき人が多いです)、幼児期に発見できるのでしょう。ただ、言語が通常程度発達して、対人交流の困難さがあるタイプはおそらく女の子に多いのでしょう。
 だから逆に言うと、発達障害だと気づくのが遅くなってしまうのではないでしょうか?

 発達障害がある、と気づくことのないまま生活を送っていると、つらくなってきたり、生きづらくなってしまったりして、二次障害としてうつがおこるので、その結果、私の外来にくることになったのでしょう。

 この場合、いくらお薬を飲んでもらってもなかなか効果が出てすっきり症状改善!とはいかないのです。それが私にとっても、来てくれた方にとってもつらいところです。

 高校に入ってから周りとうまくいかなくなって、私の外来に受診してお母さんも初めて「発達障害」と聞いて納得はしたけど、うつもあって、なかなか外来に受診できずにいるという方もいます。
 
 かろうじて就労しているけれども、人と会うことや、組織の中で人と接するのが大変でつらい、という20歳代の人もいます。

 シングルマザーで、お子さんも自分も発達障害で、自分の常識が他の人と違うから、これは虐待なのかと日々悩んでいる人もいます。

 女の子の発達障害、そしてうつ。

 これをどうしたらうまく発見できるのか、発見後サポートできるのか。

 最近特に考えています。

2009年5月28日木曜日

発達障害?

 私自身が外来で、来てくれた人に伝えるときに思うのですが、いまさらながら、発達障害って、いったい何なのだろうか、ということです。

 突き詰めると、発達に障害がない、完璧に発達している人って、いるものなのでしょうか?

 そして、完璧に発達した人とは、どんな人なのでしょうか?一緒にいて楽しくなったり、もっと話をしたい、一緒にいたいと思える人なんでしょうか?

 このことは、逆説的でありながら、私にとっての真実だと思うのです。
 つまり、発達が完ぺきな人はおそらくいなくて、どんな人も発達という観点では、ばらつきがある。

 むしろ生きていくうえで大事なのは、人とどのくらい関われるか、どのくらい楽しく付き合えるか、どのくらい自分を人間関係で表現できるか、によると思うのです。

 だからこそ、発達障害と呼ばれる子どもたちは悩むし、私もそのことを言葉で伝えるのには、悩みます。

 先だって、とても驚いたことがありました。
 
 発達障害のある、パニックを起こしやすい小学生がずっと受診してくれているのですが、その人が担当の心理士の先生(心理療法を行っている)の名前をだして、「早く会いたいんだよね。もう(診察を)終わってもいい?(そして引き続いて心理療法なので)」と私に言ったのです。

 その人のことを私はずっと、(人とあまりかかわりたがらないタイプ)と勝手に思っていたので、とても意外でした。

 そして、心理士の先生のところへ喜び勇んで駆け寄ったのです。

 人とかかわることが、好きになったんだあ、とうれしくなりました。

 お母さんによると、友達というか一緒に行動できる人も増えてきたようです。

 発達が完ぺきである必要なんてなくて、自分がかかわっている人とどのくらいたのしめるか、だと思います。

 そして、発達障害を矯正するところではなくて、自分がかかわっている人と楽しめる生活ができる方法を伝えるという外来であると、伝えたいのです。

 
 

2009年5月15日金曜日

講演

 僭越ながら、昨日、講演会の講師になりました。

 「せん妄」についての講演会です。院内スタッフ向けのです。
 私は、子どもの精神科なんですけど、それでもいいのでしょうか?と、主催の外科の先生に伺うと「もちろんです」ということでしたが、あまりに自信がなくて。

 ネットや自分の持っている精神科の教科書で、調べに調べて、資料を作成して出向きました。

 私自身としては、せん妄の方であっても、子供であっても、スタンスはあまり変わらないですが、そこを伝えるべきかどうか悩みました。おそらく、講演会に来る病院のスタッフの方たちは、その疾患に特異的な対応方法を知りたいのだろうし・・・。

 ただ、最後は人間対人間だからと考えなおして、私のスタンスはお伝えしました。

 大したことじゃないです。

 ぐあいの悪い時には、論理的に思考できないので、論理ではなくて、その人の感情に伝える、つまり態度や様子を感情的に受け入れやすい内容にすることがだいじではないでしょうかという、その程度のことです。

 ただ、忙しいとわたしもついついとげとげしく対応してしまうので、まだまだですが・・・。

 どうしてそう思ったかというと、昨年の子宮外妊娠の時に自分の勤務する病院で手術・入院だったのですが、そのときにそのようにしてくれるスタッフの人が多くて、私がとても楽に過ごせたからです。

 そういう意味で、もうスタッフの皆さんは実践しておられるのですが、言葉としてご存じないかもと思ったので・・・。

 いずれにしても楽しい講演会だったので、ありがたかったです。スタッフの役に立てればなあと思います。

 

2009年5月14日木曜日

「かわいくやせたい」

  先日、摂食障害の中学1年生が外来にきてくれました。

 受診したかったわけではなくて、お母さんが心配するからお母さんの顔を立ててきてくれたようでした。お母さん思いの優しい人なんだなあと、思いました。

 体重は減少の一途をたどる拒食型の摂食障害です。

 こういう方の場合、まったくといっていいくらい「病気」だと認められないようです。それが、病気の力だと思うのですが・・・。

 今回も、ご本人よりもお母さんとお話しをしていました。お母さんは医療関係の方ですが、でも、摂食障害だとは思わなかったと泣いてしまいました。

 お母さんに「ご本人は病気のせいで、なかなかつらいとか、苦しいとか思えないので・・・」と話したところ、号泣して「そうですよね、本人が一番つらいんですよね・・・」と言ってくれました。

 お母さんを応援していくことで、彼女にもアプローチできたら、そう思いました。

 今は、彼女の「やせたい」「かわいくやせたい」という気持ちを、応援しつつ、体がしんどくなったら入院しようねという約束をできたらいいなと、今後の方向性を模索しているところです。

2009年5月11日月曜日

ビデオ上映会「ひきこもりのすすめ」

 5月10日はすくーるばくで、ビデオ上映会でした。

 べてるのビデオ、精神分裂病を生きるシリーズ7巻「ひきこもりのすすめ」を観ました。

 私はかねてから外来で、ひきこもりの人たちに、というか、ひきこもりの経験のある人たちというべきでしょうが、その人たちに、「なぜひきこもりをしたのか」という問いを出すのは、どうもおかしい、と思っていました。

 なぜか、というと、ひきこもる理由なんて、おそらく忘れてしまったりというようなものだと思うのです。その、本人でさえ忘れてしまったことを追求して、ひきこもっている苦しさに目を向けないのは、どうなんだろうと思っているからです。

 たしかにあまりひきこもりの苦しさに目を向けてもつらいかもしれませんが、理由や原因を追求しすぎるのもどうなのかと思えるのです。

 このビデオでは、原因やひきこもりの解決について、あまり積極的に語ってはいません。

 むしろ、このビデオの特記すべき点は、「ひきこもりはプラスになる」という主張です。

 自己を見つめる時間であり、自分にとって、何が大切なのかを見極める時間だというのが、ビデオに登場するメンバーの山本さんの主張です。

 登場するメンバー全員は、およそ考えうるすべての、つらい体験をひきこもりによってします。自責感から死を考えたり、人とかかわることも含めて、新しいことに向き合うたびにひきこもり、自己肯定感を削っていったり・・・。

 身体的な死も考えるメンバーですが、むしろ彼らを苦しめているのは、ひきこもりによって社会的な「死」を体験したことです。

 ただ、ここで価値観の大転換が起こるのですが、何かのポイント(それはどうも個々人で違うようですが)で、ひきこもりの体験をプラスにとらえられたときに、ある種の「強さ」が得られるようです。

 このビデオは、その「強さ」を得るまでの軌跡、私はそう思います。

 こんな難しいことを考えずとも、親子みんなで楽しめるビデオなのでお勧めします。

2009年4月29日水曜日

「おばあさんと、おかあさんの主治医」

 私の外来は、ひとつは総合病院の外来で、もうひとつは精神科の専門病院で行っています。

 総合病院の外来では、子供ばかり診ているわけにはいかない状況です。というのも、私の住む東北では日本最大級の高齢化が進行中なので、いつもいつも、70歳代以上の人たちとお会いします。

 そうなると、たいていは認知症の方が多いです。

 家族の人にしてみれば、それまでしっかりしていたおばあさんやおじいさんが、あまりにも自分の言っていることを理解しないで、つじつまの合わないことをしていると、切なくなるのだろうなあと、日々私は思っています。

 そうです、認知症の人たちは論理をつかさどる前頭葉の機能が低下しているので、私たちの論理はほとんど通じないのです。

 かわりに、感情的なことがらをもとにして、今自分の置かれている状況を把握しようとします。

 つまり、家族がとげとげしく話しかけると、不安が募って、叫んでしまったり、泣いたりしてしまうのですが、穏やかに話しかけると、優しく応対してくれることが多いのです。

 しかし、これはかなり「試される」事態です。

 一度や二度ではなく、ほとんどの生活シーンでこのことが要求されるので、疲れることこの上ないことです。

 おそらく介護の疲れというのは、コミュニケーションが成り立ちにくいということからくるのだろうと思います。

 そうなるとたいてい私は、家族の方たちも診療することになります。するといつの間にか、その人の家族つまりは孫世代に到達することも多いのです。

 私の状況を見て、「児童精神科医なのに」とおっしゃる方もいますが、結局は私にとっては単なる遠回りではなくて、私は「祖父母世代、父母世代の信頼を得ている人」として、子供たちの前に登場できるのです。だから、信頼関係のベースを構築する手間はかなり省略できることも多いです。

 そういう意味で、総合病院の外来も気に入っています。

2009年4月20日月曜日

「発達障害のある子どものきょうだいたち」

 昨日4月19日は、すくーるばくでの読書会でした。

 吉川かおり著「発達障害のある子どものきょうだいたち」がテーマでした。私はこの本はかなりいい本だと思っています。というのも、これまでほとんど注目されなかった発達障害のある子どものきょうだいたちに光を当てて、どういうことを考えているのか、発達障害のあるきょうだいとどのような生活をしてきたのか、どういう存在だと思っているのかということを書いているからです。

 中でも私が意外だったのは、この本の調査に協力した人たちはほとんどが発達障害という障害をもったきょうだいのことを「とくに他のきょうだいと違うと思わない」と答えている点です。

 私の外来にくる人の中で、発達障害の人のきょうだいで、うつ病のような方がいます。その人は、語らないのですが、すくなからずその人のそれまでの生活の中で、発達障害のきょうだいの存在が何かしらの影響を及ぼしていて、もしかするといまの状況にも影響を及ぼしているのかもしれない、と思えるのです。

 必ずしもそういうケースばかりではないということをこの本は教えてくれて、ありがたいしうれしいのです。

 ただ、今後私の外来で、やはりきょうだいの支援は必要になりそうです。その時のために、いま、子どものデイケアを開いて準備している状態ではあります。

 いずれ集団療法などができたら、と思うのですが・・・。

2009年4月17日金曜日

書評「ADHDの本」 司馬理英子著 


書評「ADHDの本」 司馬理英子著 主婦の友社 1300円(税別)

マンガが多くて、楽しめる本です。そこが気に入りました。そもそもこの本を読んだのは、外来で親御さんたちに勧められる本がないかな、と思ったためです。

発 達障害やADHDに関しては誤解が多いなと思ったのは、あるおかあさんから「発達障害やADHDって、薬を飲めば治るものではないんですか?!」と驚かれ てしまい、逆にこちらが驚いたことがあったので、私がたまに会って話していくほかに、手元に本があれば、必要な時に読めていいのではないかと思いました。

そこで、このタイプの本の出番だと、思うのです。

しかも発行元が、おかあさんたちに身近な出版社なので、手に取りやすいですし、専門書ではないので注文もしやすいです。

一 番いいのが、年代別に治療法が書かれていて、単に子ども時代だけではなくて、大人になった場合にも使える本です。とくに、大学生から就職するまでがかなり 必要な場合が多いので、この本はADHDのお子さんをもつお父さん、おかあさんたちが読んだほうが、今後を心配しないでいいのではないでしょうか。

私にとっても、説明しやすい点がたくさんあります。
目に見えるように説明することをさらに勧めやすくなったり、実年齢の2/3歳と思ってほしいなど、伝えるポイントが実際に書かれているのでとてもいい本です。

2009年4月15日水曜日

魔法使いのおばさん

 私の外来では、しばしば、ご本人ではなくて、親御さんが本人のことを心配して「相談」という形で受診されることがあります。

 遠回りなようですが、意外とこうすることが本人と出会う近道なのです。

 でも、「いずれ本人にお会いしたい!」という気持ちは、微塵も見せずに淡々と親御さんと出会って話をして、親御さんに安心してもらうというのが、大事なスタンスです。「いずれは本人に」という様子をあまり見せると、ご本人が腰が引けてしまうからです。

 ただ、親御さんにしてみれば大変なことです。本人がいつ受診するのかというみとおしが持てないまま、延々と自分の安心のために精神科に来続けるのは、実は大変な努力が必要なのです。仕事の調整、本人に何と話をするか、おじいさんやおばあさんに何と話をするか、などなどです。

 それをやってみてください、と私は言うわけです。

 先日も外来でそういうことを話したのですが、その時私がふと思い出したのが、童話で12人の王子様が悪い魔法使いに白鳥に変えられてしまい、末の妹がたった一人で、イラクサで服を編んでいけば元に戻ることができるだろう、と言った別の魔法使いのことです。しかも、服を編んでいる間は、一言も口をきいてはならない、というのです。

 やたらとこの魔法使い、「大変だよ」ともったいをつけていたのを子どもの頃に、「ずいぶんいろいろ言うなあ」と思った記憶があります。

 大変は大変だけど、やってやれないことはないし、と思ったのです。

 今、その魔法使いと同じように私は、「親御さんが、精神科に受診し続けるのは大変ですよ」ともったいをつけているつもりはなくても、いろいろというわけです。

 親御さんから見れば、私は魔法使いのおばさんでしょう。

 その魔法使いのおばさんが、どんなことができるのか、一緒にやっていけたら、といつも思ってい外来をしています。

2009年4月10日金曜日

勉強会

昨日、勤め先の精神科病院で夕方から勉強会がありました。

ジプレキサという薬物を使用して、統合失調症の人の治療に当たった時、長期的なQOLがどのようになるかというものでした。国見台病院(宮城県)の小田康彦先生の講演で、120例の豊かな臨床経験を提示していただいて、勇気を頂いたのでした。

中でも私が、なるほど、と思ったのは、「一番困るのは、幻覚妄想が続いていることよりも、不安、焦燥感、抑うつなどがあることで、そのほうが社会参加には障害」というお話でした。

そこから、国見台病院では精神内界を語る会があるそうです。

それを聞いて、べてるの家での「幻聴ミーティング」を思い出しました。あのころ、患者さんたちがこのミーティング後にほっとしたような、くつろぎ感があったのは、自分の話を受け入れてもらった、ということで、不安や焦燥感が紛れたのだなということだったのでしょう。

それが、べてる以外にも私の身近な場所であるということをきいて、うれしくなりました。

国見台病院、ぜひ見学したいと思いました。

2009年4月2日木曜日

 春です。暖かくて、桜も咲いて、・・・・、ととてもいい季節ですが、
外来は不調です。

 私自身も、不調で(急性腸炎)外来を休んでしまったので、人のことは言えません。

 でも、皆さん本当に春はつらいようです。

 外来に来てくれている発達障害の人たちも、いらいら感がつらい、とか、やる気になれないという人がほとんどです。

 そんな中で、外来に来てくれて、なんとかやれたら、と思うのですが・・・。これがむしろ逆に作用することが多いので、多少お薬を増やすことはありますが、最近ではたいてい「季節のものだから」ということで、様子を見てもらうことも多いです。

 完全に暖かくなる(むしろ、暑くなる?)6月くらいになれば、みなさん好調になって、いい感じになれるのです。

 それまで待てそうなら、待っていただいたりしています。

 頼りにならない医者ですが、そのほうがいいときもあって、あまり余計なことをしないようにしていますが物足りないという人もいるようです。

 


 

2009年3月24日火曜日

読書会;つづき

 昨日の読書会の感想を書いていて、書き足らなかったので・・・。

 他の方の感想を聞いていて思ったのですが、この本がそもそも虐待を扱っているという風には、皆さんあまり思っていなかったようでした。

 そのこと自体は、そういう感じ方ですからそれでいいのですが、私が自分自身の問題だと思ったのは、私がその場に参加した方に対して、「この本は、虐待を扱っている」と、自分自身が納得できるように周りの人に説明できなかったのです。

 それが何ともふに落ちなかったのです。

 確かにある程度の根拠は示せたかもしれないのですが、納得していただくには至っていないようでした。

 自分の未熟さを思い知った瞬間でした。

 このあとはやはり、もう少し虐待とはどういう影響を子どもの成長に与えるものなのか、イメージしてもらえるような説明や、画像を伝えられたらいいと思うのですが・・・。

 考えさせられる読書会でした。

2009年3月23日月曜日

読書会;「悪童日記」

 昨日は、読書会でした。アゴタ・クリストフ著「悪童日記」を読みました。

 私は実はこの本を読んでいないのですが、この本を読んだ人の話を聞き、本の中の当該の場所を観ていくうちに、主人公の双子の「ぼくら」は実は、母方祖母から、村人から、ひいては戦争という事態から、虐待を受けていたのだと、思い始めました。

 それは、p41の体を鍛える話の中で、「痛いのは別人だ」と痛みを感じないようにする部分と、作文を書きあうときに自分たちの感じたことや、感情を書かないということから、これは、虐待された子供たちがそのまましている行動だと気がついたからです。

 戦争中に、他にも「ぼくら」のような扱いを受けた子どもがたくさんいたことでしょう。でも、大人も子供も生存することで精いっぱい、つまりは、身体機能を保つことにのみ関心があり、その後にもたらされるであろう、精神機能の不調には気がつくこともなかったのでしょう。

 つまり、目に見えないものは、「ないもの」として扱われたのです。

 子どもにとって、誰かが自分のことを気にかけてくれていると実感することは、その後に生きていくために必要なのです。誰かに愛情をかけるということもそこから学ばなくてはなりません。愛情を受けたことがなければ、愛情を与えることはできないのですから。

 戦時中には、そういう目に見えないものを抹殺してしまったということです。もっというと、子どもとして生きることも抹殺されたのです。

 そのようにして読むと、むやみと大人びた「ぼくら」が得られなかったものの重みが感じられて、痛みすら感じてしまう本でした。

 自分の感情のことばかり考えてしまい、私は、他の人の感想を気にかけられないでいた昨日の読書会でした。

2009年3月22日日曜日

書評「面倒くさがりやのあなたがうまくいく55の法則」 本田直之著 大和書房 1000円(税別)


書評「面倒くさがりやのあなたがうまくいく55の法則」 本田直之著 大和書房 1000円(税別)

この本が面白いのは、面倒くさがる、という性質を否定的に評価せずに、そこから、面倒くさくてもこれさえすれば日々の生活を変えていけるというシステムを構築する方法を提示している点です。

その中で、最もいい、と思えたのは「時間割で動く」(p108)です。

つまり生活の中のあらゆる事柄をすべて時間割にして、毎日一定の型に沿った生活をするということを勧めている章です。

これは、と私が思ったのはなぜか、というと、発達障害の人たちがキャリアアップしていく際に、このシステムを使えると思ったからです。

発達障害の人たちは、変化が嫌いです。毎日同じような生活をしていくことを好みます。だから、クリエイティビティの必要な仕事はあまり向かないかもしれないと私は思っていましたし、キャリアアップをするのにも無理があるかもしれないと思いこんでいたのです。

ただ、著者のように時間割で仕事をしていくことで、面倒でも、変化が嫌いでも、確実に変化していける仕組みは構築できますし、それに沿って行動すれば、自分の望むように自分を変革できるのです。

もちろん、どのように時間割を立てるかというのは、自分の指針がなければ、作れませんがそれは、発達障害のある人が、誰かと相談しながら作ればいいわけで すし、この本でも自己流で物事をしていこうとするほうが「面倒くさい」ので、コーチングやマニュアルの活用、つまり、誰かと相談することを推奨していま す。

確かにビジネス書なのですが、読み替えると、私のような活用法もあるかと思います。

2009年3月20日金曜日

ケース会議

 ときどき、地域ぐるみである患者さん(たいてい家族も含んでですが)を支えようとして、行政関係の方や、教育関係の方と、会議をすることがあります。これが、ケース会議というものです。

 私は、これが贅沢で、大好きな会議なのです。私のこともいつか、ケース会議をしてほしいくらいに…。

 先日も、そのような会議がありました。

 行政関係の方、教育関係の方が勢ぞろいして、こんなにたくさんのメンバーが力を合わせてその人たちにかかわれば、何とかなるかもしれない、とうれしくなりました。

 というか、こういう私が単純なのでしょうか?

 ただ、行政関係の方で、話題の患者さんに対して、かなり批判的な人がいて・・・。つらかったです・・・。

 よくわからないのですが、その人は、私がその患者さんのどんな肯定的な話をしても「そんなことはありません。先生は(=私のことですね)、その人たちのことをよく知らないから」とおっしゃるのです。

 その人と、その患者さんの間にどういうやり取りがあったのか、どんなふうに関係がよくないのか、知らなかったのですが、とりあえず、このような会議に来てくださるということは、その人も、その患者さんのことを思っていると考えるのですが・・・。

 というか、もしも、私がその人のことをよく知らないから、いい対策が打てないということだとすれば、長く知っていればいいというものでしょうか?

 とりあえず、一言告げるたびにそのように批判されたり、私の発言を受けてしかめっ面をされると、へこんでしまいました。

 こんなふうに、あまり良く思えないという状況が広がるのかもしれません。

 今後もこの会議はしたいのですが、その人とどんなふうにやり取りになるのか・・・。でもちょっと、その人の変化も楽しみだったりするのですが。
 

2009年3月15日日曜日

うれしい報告

 先日の外来で、いつも来ている方がお子さん(お子さんも外来に来てくれていますが)の学校のことを相談してくれました。

 聞けば、そろそろクラスが編成されるけれども、兄弟の情報で「この先生だけは、うちのこの子とあわないな」という方がおられて、その先生が担任にならないようにずっと、悩んでいるということでした。

 私としては、学校に相談に行けばいいのでは?と思ったのですが、その方にとって学校とは敷居が高くて、相談に行きにくいのですということでした。

 思いきって旦那さま(=お子さんのお父さん)と行っては?と提案したところ、その方にとっても意外だったようですが、「やってみます」と言ってくれました。

 そして、つい最近。

 旦那さま(=お子さんのお父さん)も、一緒に学校に相談に行ってくれて、その方をフォローしながら話をしてくれて、とてもいい感じで学校側とお話ができました、と報告をくれました。

 うれしかったです。

 というのも、この方と旦那さまの関係が改善すれば、この方の状況も、お子さんの状況もきっと良くなる、と思っていた方だったので・・・。

 思っていた以上に旦那さまが動いてくれて、この方も旦那さまのいいところを再発見したようでした。

 次には、そろそろ私がお会いしたい、と旦那さまに伝えるのは、どうかなあと欲張ってみたりして…。

 いやいや、焦りは禁物ですね。

 またいい報告が聴きたいですが、そのために何をしたらいいのか、熟慮しなくては、と思えました。

2009年3月11日水曜日

書評「はじめに読むアスペルガー症候群の本」 榊原洋一著



書評「はじめに読むアスペルガー症候群の本」 榊原洋一著 ナツメ社 1200円(税別)

イラスト満載で、アスペルガー症候群のことが少しでも分かりたい!という人にはぴったりです。ニキ・リンコさんや藤家寛子さんの著作をよんでかなりアスペ ルガー症候群にたいして、とっつきやすい印象をもっていた私ですが、いつになっても「三つ組の障害」が覚えられずに苦慮していたので、イラストならいいか な?と思い、購入した本でした。

イラストがかわいらしくて、読んでいても、わかりにくいという嫌な感じがないところがこの本の魅力です。

いえ、確かに発達障害というものはわかりにくい、という実感は残っているのですが、診断の部分で図があって、その図が私の普段思っていることを的確に表していて、私の描く図と同じだったので、安心したなあという感じでした。

親御さんが持っていて、学校と一緒に読みあったりすればとてもいいのではないでしょうか?

アスペルガー症候群とひとくちで言っても、この本にあるような対応ではうまくいかない子供もいます。それはそうなんですが、将来に関することも書かれているので、アスペルガー症候群とかかわりのある人たちにとっては必携ではないでしょうか。

2009年3月9日月曜日

風邪と運動

今年に入って初めて、風邪をひきました。

でも、今回は回復が早かったです。昨年からの犬の散歩を週に大体4日ほど続けていたせいでしょうか。やはり歩くと、いいです。

調子に乗って今日は、我が家から銀行まで往復40分、歩きました。さっぱりです。

そんなこんなで、風邪とさようならできました。

意外と、運動好きな私でした。

2009年3月8日日曜日

書評「ツレと私の「たいへんだ!」育児」 細川貂々著


書評「ツレと私の「たいへんだ!」育児」 細川貂々著 文藝春秋 952円(税別)

息子の育児を思い出して、その共通点と、私の息子の育ち方に対する疑問がかなり氷解した本でした。

特に「手と手を合わせて」「夜泣きのおかげ!?」「ボク、きたえてます②」が、なるほど!でした。

我 が家の息子も、ちょうどちーとくん(細川さんの息子さん)と同じころ(0歳4カ月頃)に、手と手を合わせていました。我が家では、保育園の何かだろうと思 いこんでいたのですが、保育園に行っていないちーとくんも同じことをしているのなら、それは、やはり手の器用さを養成しているのかもしれません。

我が家で息子が夜泣き後に、やれることが増えているかどうか私にはよくわかりませんでした。というのも、息子はあまり夜泣きをしなかったので・・・。でも夜泣きの後に成長しているのだとしたら、夜泣きをしても、「必要なのだな」と納得できます。

筋トレみたいなことはあまり息子はしませんでした。ちょうど立てる→歩けるの時間差がほとんどなかったので、筋トレはその前に転がることで何とかしていたのかもしれません。

やはり子供は一人ひとり違いますが、共通点もあるので、他の人の育児を知るのは安心感があります。そういう点でこの本はお勧めです。

2009年3月5日木曜日

依存症のカジュアル化

昨日はOと言う地区で講演をしました。

なぜかひさしぶりに緊張してしまいました。おそらく、初めての講演場所で、初めての人たちばかりでしかも、地域の名士さんたちの前での講演だったからと思います。。

もっといえば、私の父母くらいの年齢の人たちに偉そうに講演するのに、気が引けてしまったのです。

でも結果的には喜んでもらえて、ほっとしました。

そこは保健師さんも初めての人で、かなり緊張・・・。でも、意外なつながりがあって、かなり近い気持ちになれて、帰る頃にはほっとできました。

講演タイトルは、「すべて依存症から始まる」。われながら、大胆にすべての精神疾患を依存症(アルコールも含む)に結びつけたものだ、と感嘆してしまいました。

日本の依存症罹患人口は、少なく見積もられすぎていると私は思うのです。それだけに、自分のことを依存症である、と自覚できる人は貴重です。

昨日、講演していて思ったのだが、今は「私はうつ病です」と言うことはかなりカジュアルに語れるようになったけれども、ただ、「私は(アルコールを含む)依存症です」というのは、一世一代の秘密をいうくらいの勇気がいるのです。

これをカジュアルにできれば、と私は思っています。

その最初のひとつが、この講演だろうと思えたのでした。

2009年3月3日火曜日

半身浴と読書

 読書三昧、ではなかったのですが、最近このブログで書くことと言えば、書評でした。

 そのようなことに昨日気付いて、早速今日書いています。

 最近、とはいえ、読書は多いです。半身浴が多いので、その時に読書です。でも、お風呂だと本がふやけるので、困るなあと思っていました。

 今は、面倒ですが、コピーをとっています。その方が惜しげなく読めるようなので・・・。

 ただ、欠点はカラーは難しいことでしょう。文献は工夫されていてカラーのグラフなどが多いので、この点をどうするかは課題です。

2009年3月2日月曜日

書評「他の誰かになりたかった」(藤家寛子著 花風社) 


書評「他の誰かになりたかった」(藤家寛子著 花風社) 1600円(税別)

アスペルガー症候群と診断された本人の自伝です。少し読みにくかったです。

というのも、「~だ」「~である」調や「~です」「~ます」調ではなくて、口語調で書かれているので、目の前にその人がいるかのようなリアルさはあるのですが、それだけに全般的に距離感が取りにくい本でした。冷静になれない、という私の問題だと思いますが。

ただ、著者が書いているように家族の中で祖父とのつながりがあったからこそ、人とのつながりを求めていけたという部分には、「なるほど」でした。

家族が事前に決まっていることを言うと思いこんでいたなど、私たちには思いつかないこと思っていると受け取られがちでしょうが、おそらくどの人にも意識化 できないだけでそのようなことはあるのではないでしょうか。この本を読んでこの部分が、私は自分との共通点だったので、うれしかったです。

自閉症や、自閉性障害、発達障害と言うのは自分とは程遠いと思う人も多いのでしょうけれども、この障害は、どこからが障害、とはっきり言えない状況なのです。それゆえにスペクトラム障害という名前になっています。

それが、自分の経験から実感できる貴重な本だと思いました。

2009年2月27日金曜日

書評「レバレッジ時間術」本田直之著 幻冬舎新書 720円(税別)


書評「レバレッジ時間術」本田直之著 幻冬舎新書 720円(税別)

有名な「レバレッジ」シリーズです。時間の使い方について、数多い本の中で私が気に入ったのは、「時間を節約する」ということではなくて、「時間を投資する」という考え方です。そして、それに立脚した「仕組み」を作るということです。

この本の中では、その「仕組み」のひとつとしてゴールを設定してそこから逆算して「何をするべきか」ということを計画・実行するというものがあります。

著者はこの際に道具として、カレンダー(紙製)を使用していますが、私はgoogle calendarを使っています。これが私にはなかなかうまく使いこなせないです。

この本を読んで、自分の手法はいいのですが、ゴールに達するまでの途中のステップの設定が自分のできるものになっていないと、気がついたのでした。

そういう自分の手法と比較することで、発見があり、そこから自分の日常が変わりうる本です。

ちなみに私は、今までは平日も週末(休日)も同じように生活していたのですが(仕事はありませんが)、これをみなおしていくべきかなと思っています。

さらにgoogle calendarもPCだけではなくて、携帯電話にも配信してもらい、自分のすべきことを意識できるようにすればいいかなと思っています。

こういう気付きが、また新たな何かを与えてくれそうで、それを導き出してくれる本です。

2009年2月25日水曜日

ついに

 専門医試験のレポートを、昨日仕事の合間に提出しました。

 郵便局へ昼休み出向いて、簡易書留で提出です。

 おもわず、対応してくださった職員の方を拝んでしまうくらいでした。

 本当は一昨日に提出しようと思ったのですが、合計で6か所も訂正個所をみつけて印刷しなおしたので、昨日になりました。

 苦労したレポートでした。自分の仕事を誰かに文章で伝えるって、大変だと思いました。

2009年2月23日月曜日

終了

 21日からの児童精神科東北地区ワークショップが昨日終了しました。

 関係者の先生方には、心から感謝します。とても素晴らしい講義でした。特に田中哲先生の自閉性障害スペクトラムの理論には、感服しました。
 これで明日からの外来で、「発達障害なんて、うちの子、ちがいます」と言いだした保護者の方がいても、この理論を出して、お話しできる!と自信がつきました。

 そして、専門医試験のレポートも完成しました。

 昨日は、山形市内のネットカフェで印刷・・・。タバコ臭くなりました。

 どれもいい思い出になりそうで、うれしい2日間でした。
 

2009年2月21日土曜日

山形


 児童精神科の東北ワークショップのために、山形県山形市に来ました。

 写真は会場から歩いて5分ほどの郷土館です。なかなか、という建物です。

 山形のいいな、と思えるところはこのような建物だけではありませんでした。JR駅の観光協会でワークショップ会場への行き方を聞いたところ、ものすごくわかりやすく教えてくれました。

 接客がいい感じです。

 商人気質なんでしょうねえ。いいです。

2009年2月20日金曜日

書評「パイの物語」(ヤン・マーテル著、唐沢則幸訳、竹書房) 1800円(税別) 


書評「パイの物語」(ヤン・マーテル著、唐沢則幸訳、竹書房) 1800円(税別) 
 

全世界を揺るがしたベストセラーです。この本を読んだきっかけは、ブログ「ハーバード大学医学部留学・独立日記http://harvardmedblog.blog90.fc2.com/blog-entry-310.html」を読んだことでした。

このブログを読んでから、実際に小説を読んだくせに、私は実はリチャード・パーカーが何者かさえもよくわかっていなかったのです。

読み終わって、以前に読んだ池澤夏樹著「夏の朝の成層圏」のほうが面白かったなあ、とおもいました。そして、その感性は、私の特徴なのだと気がついたのです。

要するに、私は海の上で漂流しての毎日を読んで楽しいとは思えないのです。海があまり好きではないのかもしれないですが。ここはよくわかっていないですが。

私はむしろ、漂流し終えてその後でどんな生活を営むか、どんな毎日を見出していくかが、大事と思えるし、それが好きなのです。

だからこそ、私はロビンソン・クルーソーが好きですし、「15少年漂流記」の15人の少年が織りなす人間模様が好きなのです。

そして、池澤夏樹の前述の小説も同じ。南の島での生活と、人間同士がどのように生活を織りなすのか、それが非常に面白いのです。

池澤夏樹の場合、自然保護や自然礼賛の要素が強いけれど。

2009年2月15日日曜日

久しぶりの更新です。

 気がつくと1週間近くブログを更新していませんでした。自分にびっくりです。

 日々の活動はしているのですが、なかなかブログに書こうとすれば、自分で自分を制限してしまうようです。

 それに、季節の変わり目で私の体調も思うようではなかったりしています。

 昨年の手術の後から、猛烈に疲れやすくなったので・・・。

 あまり自慢できたことではありませんが、仕事の日の昼休みには必ず少し休息をとって、本来なら外来に来てくれた人のためのベッドで横になることなどもあるのです。

 でも、その後はかなり調子がいいので、この方法は続けたいなと思っています。

 そして、何度もブログで書いていますが、専門医試験のレポート提出が2月中なので、それもあるのかなと思いますが。

2009年2月9日月曜日

春;出会いと別れと

今日は、地域のカンファレンスに行きました。

 その中で、学校の先生方の異動のお話になりました。せっかくカンファレンスを介して親しくなれて、該当する人以外のお話もできるようになったけれども、そういう先生も異動です。

 さみしいし、残念だなあと思うのですが、また新しい先生との出会いが広がっていくわけですし、移動される先生も新しい学校で、私とまた連絡を撮ってくださるわけですし、そんなにさびしがってばかりいても仕方ないなあと思います。

 いろんな人との出会いの春が近づいています。

 そして、外来の皆さんの不調の季節、春が近づいているのです・・・。

2009年2月8日日曜日

ビデオ上映会

 今日はすくーるばくでビデオ上映会がありました。

 べてるの家のビデオを観るのです。「精神分裂病を生きる 第5巻 成長する幻聴さん」というタイトルでした。

 観終わっての感想ですが、どうもすっきりできなかったです。登場する鈴木恵美子さんが全体的に周囲の、べてるの人たちの期待にこたえようという感じが、どうにもはらはらしてしまうのです。

 そんなに周りにあわせなくてもいいのに・・・。

 そんなことを思いながら、観てしまいました。

 べてるのビデオは徐々にDVDに移行するようです。それも時代の流れですねえ。

2009年2月7日土曜日

専門医試験

 専門医試験のレポートをコンピュータに向かって書いています。

 すると、調べ物をしたくなるのですね。そこで、家の書棚の私の本を読むわけです。

 びっくりです。私の持っている本は古い!最新の教科書や診断基準の本ではないのです。あれれ・・・という感じです。それだけ精神科の診療は動いているのですね。

 そうなると、今度はamazonで書籍購入です。

 もちろん、職場にも教科書や診断基準の本はあるので、それを使わせていただきますが、いかんせん私の癖でしょう。自分で、自分の書棚に、ほしいのです。

 かくして書棚はいっぱい・・・。

 でも専門医試験のレポートはいい勉強になります。たとえ、試験に不合格であったとしても、勉強になったのは収穫と思うことにしようと思います。

 いやいや。今から不合格のことを考えていてはいけませんね。ベストを尽くします。

2009年2月3日火曜日

書評「ハッピーになれる算数」新井紀子著 理論社 1200円(税別)


書評「ハッピーになれる算数」新井紀子著 理論社 1200円(税別)

算数が得意というか、期末テストで80点以上とれるようになろう!ということが当初の目的の本でした。

私も、仕事がら子どもたちにとって学校の成績はいいほうがよろしいと思っている人間なのでこれには大賛成で読み始めました。だって、学校の成績が悪いと、 一日の大半を詰まらない思いで過ごさなければなりません。こんなことを体験するくらいなら、かなり妥協して勉強したほうがいいと思うからです。

それで何度もいろいろな計算のことが登場します。

しかし、この本を読んでいて私が思ったのは、算数というのは私が今まで思っていたのとは違っていたのだという点です。本書の中では、「割り算の言葉づかい」などという言葉がたくさん登場します。つまり、算数というのは、言葉の問題が大事なのだと気がついてしまいました。

でもそれでも、算数って、ちょっとなあと思いがちです。大人になってどう役に立つのかわからないですしね。

この答えがとても端的に書かれていたのが198pです。

≪「あたりまえだ・・・」ということをつなげて式や証明を書くわけですから、間違っているときは間違っている、正しいときは正しい、と、結果がはっきりす るわけです。それは短い時間の間に、何度でもまちがう経験ができる、ということです。「まちがうのはいやだなあ。×(バツ)がついたら、悲しいなあ」と、 あなたは思ったかもしれません。私だって、×はいやです。でも、じつはそこのところがだいじなのです。×がつくのはいやだ、けれど、自分以外のだれにも迷 惑をかけずにたくさん×を経験することができる、というのが数学という科目の利点なのです。×がついた答案は、つい、「こんなもの、捨てちゃえ!」と、ゴ ミ箱に放りこみたくなります。それでは、×は、ただの×です。×のもらい損、ということになります。でも、(中略)、ちゃんと答え合わせができるなら、× をもらうことで、「順序よく整理しないと、わけがわからなくなっちゃうんだな」とか、「仕組みがわからないのに、わかったふりをしてまえに進むとたいへん なことになっちゃうんだな」ということを理解するためのトレーニングを積むことができるはずです。ところで、こういったトレーニングなしにおとなになっ ちゃったら、どうなるんだろう?もしかすると、「リボルビング払い年利18.5%…ま、いいか」と思う大人になっちゃうかもしれませんね。それはあなたの ハッピーにとって、とてつもない危機です。≫

年利18.5%とは、こわいですよね。それに気が付けない。そして、多重債務などにおちいったり。

そうならないために、算数が必要であるということです。

つまり、人生を楽しく過ごすための道具が算数であるということをこの本が教えてくれます。

2009年2月1日日曜日

整理整頓!

 最近、整理整頓をしています。とはいっても、お恥ずかしいくらい整理整頓ができていない私ですが・・・。

 引き出しの中を整理するグッズや、本を入れるトレーなど、グッズはいろいろあるのですねえ。

 オットが今整理整頓の時期のようで、私もそれで影響されているのですが、なかなか彼のようにうまく行きません。
 
 思うに、発達障害の子どもたちと会っていても、男の子の方がシステマティックなもの、例えば整理整頓などが得意です。最近気が付いたのですが、女の子の発達障害の子どもたちは、発見が遅い分、発達障害で見られる症状を「自分のキャラクターだ」と思い込んでしまい、対人関係や日常生活で、気持ちやものを整理したり、ということが苦手なようです。

 私が女性のためでしょうか、発達障害の女の子・女性たちが外来に受診してくれています。彼女たちのつらさや日常をいつか発表したいなあと思う今日この頃です。

2009年1月31日土曜日

スケジュール

 今週は目いっぱい働いたので、今日はのんびり、というか、ぐったりでした。

 月曜日;5歳児健診
 火曜日;通常外来(20時までかかってしまいました)
 水曜日;産業医研修
 木曜日;通常外来(車のウインドが壊れてしまいました)
 金曜日;通常外来(19時30分までかかりました)

というようなスケジュールでした。

 やはり、手術をしてからはこのようなスケジュールはきついです。常勤の道はないのでしょうね。
 だからといって、悲観してもいないのです。

 私自身が健康で人生を楽しめていれば、外来に受診してくれている人達もそうなることもあるだろうと思っているからです。

 自分に置き換えると、余裕のない、苛立ちのあるお医者さんに受診したくありませんから。

 さて、来週はこのようなきつさはないので、少しゆっくりしたいものです。

 が、専門医試験のレポート提出が・・・。

2009年1月30日金曜日

書評 「自閉っ子におけるモンダイな想像力」 ニキ・リンコ著 


書評 「自閉っ子におけるモンダイな想像力」 ニキ・リンコ著 花風社 1600円(税別)

この本の冒頭の花風社社長浅見淳子さんが書いておられるように、自閉症スペクトラムの人たちには「三つ組の障害」があるといわれています。

  1. 社会性の障害
  2. コミュニケーションの障害
  3. 想像力の障害

です。

ところで、私は子どもの精神科を志した時、これらの意味がよくわかりませんでした。そして、あれから7,8年が過ぎて、わかるようになったのは、「本人に聞かないとわからない」ということがわかったのでした。

この本は、「本人に聞いて」みた本です。

自閉っ子たちは、想像力がないということではないのに、どういうことで「想像力の障害」なのか?この本に書かれているように、自閉っ子たちは、想像力を日 常生活に応用し、役立てることが苦手なようです。そして、その結果、非自閉っ子にとって不可解な行動をして誤解されてしまうこともあります。

そういう苦しさやつらさがあるだろうのに、自閉っ子たちは負けないというか、想像力の障害を活用しながら生きていきます。

たとえば、夜なかなか眠れないときに、生理用品の「熟睡ガード」を買ってしまって、使った話。
うーん、気の毒…と思いながら、思わず噴き出してしまいました。

でも確かにそういう思い違いってあるかも・・・。

ニキ・リンコさんが書いているように、
「元気なとき、落ち着いているとき、自分のナワバリ(ホームグラウンド)にいるときは何とか想像できることでも、体調が悪い時、うろたえているとき、アウェイ戦の時は想像力が追い付かなくなる気がする」
という状態は、私にもしょっちゅうあるのです。


そう、この本は想像以上におもしろい。

もしかしたら、私たちのほうが想像力に障害があるのかもしれない、そう思えるくらいです。

2009年1月29日木曜日

産業医研修

 昨日28日に、秋田市で行われた職場のメンタルヘルスについての産業医研修で、ようやく認定産業医になるための単位が揃いました。

 長かったです。4年半、でしょうか。

 最初のうちは、結婚後すぐだったので自宅から秋田市までの地理感覚をつけるためにと思って産業医研修に参加していたのですが、出産後は全然通えず、昨年から今年にかけてある特別養護老人ホームから「産業医になってください」と言われてから、必死で通いました。

 後は、医師会に連絡して申請書をいただいて、という手続きです。

 ホッとしましたが、まだ手続きが・・・。こういうのが苦手なんですよね・・・。

2009年1月27日火曜日

5歳児健診

 昨日は、二カ月に一度の五歳児健診でした。

 やけに元気のいい男の子が多くて、楽しい健診でした。

 そして、秋田大学の武田篤先生(教育学部教授)が見学に来てくださったので、私は緊張してしまいました。

 武田先生がおっしゃったことは、5歳児健診でスクリーニングできたケースをどうするのか、具体的な手法が必要であろうということでした。具体的には、家族支援や子育て支援を5歳児健診後のスクリーニングに行うべきで、それをどうするかということを話し合うことがいいのではないかということでした。

 私は、家族支援・子育て支援は念頭にあったのですが、手法として、この5歳児健診の話し合いで提案することは実は思っていなかったのです。

 というのも、地域の保健師さんがすでにそのような方法をシステム化しておられたこと、そして、私は自分の外来があるので、そこで行っていけばいいというような考えでいたからです。

 どちらがいい、悪いではないのですが、武田先生の意見もなるほど、と思いました。

 さて、どうしたらいいのか。

 保健師さんと考えたいものです。

 私って結局他力本願ですね・・・。

2009年1月26日月曜日

BOX買いました

 AA;Alcoholics Anonymus匿名のアルコール依存症者たちという、世界規模のアルコール依存症の人たちの自助グループがあります。そこで発行している雑誌、BOX-916を購入しました。

 一冊300円です。AAのセミナー予定や、メンバーの話をずいぶん載せてあります。1年間購読しました。

 私は、アルコール依存症の人たちと接するととても安心できます。自分ひとりだけが、苦労しているわけではないということで、安心できるのです。

 私は何らかの依存を今のところ持っていませんが、なりやすいのが仕事依存、買い物依存などです。
 もっというと、これらの依存で自分が見えなくなっていったのかもしれないのです。それを、助けてくれたのが、AAというものであり、そのメンバーさんたちなのです。

 だから、AAには何らか貢献したいのです。AAのためではなくて、自分が安心して生きるために。

 というわけでのBOX購入でした。今後読んでの感想もここに書きたいと思っています。

 

2009年1月25日日曜日

書評「急がば疑え!」(日垣隆著 日本実業出版社) 1300円(税別)

書評「急がば疑え!」(日垣隆著 日本実業出版社) 1300円(税別)

一ページ一テーマで書かれたエッセイ集です。著者の本やメールマガジンを知らなくても楽しめて、著者と議論できる本です。

それだけに興味のある分野が人によってまちまちで、誰かと読み比べると楽しいのかもしれません。

私は、法と精神障害との関係について興味があり、著者の「そして殺人者は野に放たれる」(新潮文庫)を読んでいたためにこの本でも同じ思考が流れているのが、うれしくほっとしました(p50)。

他には学校について(家に就学前の子どもがいるので)、週末起業(一応自由業なので)などの部分にドッグイヤー(折り目)があります。

そう、この本は自分が何に興味があるのか、どんなことをしたいと思っているのかを、時代の流れとともに知るという手がかりをくれる本です。

毎日が退屈で、生きるのが面倒で、という人には、あっさりと読めるけれども、興味のあるところにドッグイヤーをつけると自分が見えてくるのでお勧めです。

自分探しに旅行に出るよりも安上がり!でも確実なものだと思います。

2009年1月24日土曜日

専門医試験

 精神科専門医試験のレポート提出をしなくてはならず、日々、レポートと格闘の最近です。

 苦労するのは、各報告ごとに字数制限があることと、どうやったらその報告を生き生きと描写できるのだろうかという点です。

 もちろんプライバシーには配慮していますし、外来の人たちにも話してあります。

 が、その人に会ったことの無い人(=試験官)に、私のであった人たちのことを字数制限つきで伝えるのはかなり大変だなあというのが実感です。

 2月中に郵送しなくてはならず、何とか間に合わせていいものを書くぞ!と気合を入れているところです。

2009年1月22日木曜日

読書会

 1月18日(日)に、すくーるばくで読書会が開催されました。

 テーマは「自閉っ子、こんな風にできてます!」(ニキ・リンコ×藤家寛子、花風社)でした。先日もお知らせしたように、マインドマップを使ってみました。

 すると、アイディアがけっこうわくものですね。

 中でもこの本の紹介者である私自身にとって、この本は何が良かったのかが見えました。

 アスペルガー症候群などの発達障害では、社会性の障害、コミュニケーションの障害、想像力の障害が「三つ組み障害」としてあるのです。そのなかで、社会性の障害とはかなりの部分において身体感覚の障害もあるかもしれないと思ったことです。

 自閉っ子たちは人ごみに行くのも難しく、雨が痛いと言うような奇妙な身体感覚があるわけです。そうなると、触れないものもあったり、もっというと会社の接待なのに食べられないものがあったり・・・。その結果、社会で人とやっていくことが困難であると言うことかなあ、と感じました。

 また、コミュニケーションの障害と言う点では、自閉っ子たちの言葉の表現が彼らの考えていることを必ずしもその通りに表現されていないので、私たちは真に受けてしまっては結局コミュニケーションが成り立たないと言うことかもしれない、そう思いました。

 前回書いたように、今後マインドマップを生かしながら、こんな風にアイディアを膨らませられたらいいと思えました。

2009年1月20日火曜日

読書会とマインドマップ

 18日の読書会、後で詳細に報告します。

 でも、すごくよかったのは、その日に初めてマインドマップを使ったことです。

 あらかじめ、テーマの本のマインドマップを直前に作り(←直前がいいのかわかりませんが)、そして、会の様子を記したのです。

 これがよかったです!

 どんなふうにいいのかというと、思考がまとまった感じです。そして理解も深まった・・・・という感覚が得られていい!と思えました。

 でも、感覚だけにしたくないですねえ・・・。

2009年1月19日月曜日

やる気はどこに?


書評「のうだま」 上大岡トメ&池谷裕二著 幻冬舎 1200円(税別)
ブログで知った本です。タイトルを見た途端、「?」でした。

精神科医でありながら、そして、淡蒼球という脳の部位を知りながらも、その役割までは知らなかったのでした。「脳の青い玉」と表紙の帯に書いてあったのですが、なかなか実感できなかった淡蒼球をそんな風にとらえることもできるんだなあと感心しきりでした。

冒頭から安心できるのですが、3日坊主は脳が飽きっぽいのでしかたないということです。これはよかったです。

この本は、やる気がどうしたら出るのか、という永遠のテーマに関して書かれていますが、私なりにはそれを「ベリ」と名付けました。BERI、なのですが、これがわかるだけでこの本を読んでよかった、と思えます。

「やる気は自分から迎えに行こう」。そう、そのとおりですね。

ちなみに私はやる気になれないとき、コンピュータのゲームのソリティアをやってしまいます。でも3回もやると、「なにしてるんだろう・・・」と思って、改めて物事に向かっていけます。これはお勧めはしませんが、一応やる気を迎えに行っていることになるんでしょうか?

2009年1月18日日曜日

阪神淡路大震災

 1995年1月17日には、阪神淡路大震災があったのです。

 当時の私は医学部5年生で、もう進路(専門)を決めようとしている頃でした。

 その時の大震災でした。

 信田さよ子さんによれば、この震災後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)という概念が日本に定着したそうです。

 今でも覚えているのが、震災後のがれきの山で窃盗が横行したという報道です。その時私は、人間ってこの震災で助け合うこともできるけど、人のものを奪うというエゴにも陥ることができるんだなあ、不思議な存在だなあと思ったのでした。

 最近読んだ「加害者は変われるか?」(信田さよ子著、筑摩書房 http://psychopsycho-psycho.blogspot.com/2009/01/blog-post_10.html)の中で、阪神淡路大震災で性犯罪も横行したことを知り、ますます人間って、よくわからないと思いました。

 わからないけれども、知りたいし、付き合いたい。

 私にとっての阪神淡路大震災は、精神科医としてのなにかが構築され始めた一歩のように思えるのでした。

2009年1月17日土曜日

書評「人脈力」 岡島悦子著 東洋経済新報社 1500円 (税別)





書評「人脈力」 岡島悦子著 東洋経済新報社 1500円 (税別)

人脈を構築して、ビジネスをうまく回す、という自己主張をバンバンしていくとか、自分の実力を人に見せ付けるというような、そういうことだろうか、という疑念がありながら、普段と違う本を手に取ってみました。読んでみた内容は、全然冒頭の期待と違っていました。

重要な仕事をするには、他薦が重要である、という部分が印象に残った点でした。
 
つまり、自分でいくら「人の心の痛みがわかる」などといっていても、それは信用されないのです。他の人の評価がどうなっているのか、ということが大事です。

そして、著者のようにヘッドハンターであっても、一緒に働いてお互いに貢献し合えたという経験を共有した人からの推薦(=他薦)には、かなわないのだそうです。

つまり、仕事を得るためには、自分の力を相手にわかりやすく伝える必要があり、なおかつそれは表面的なことではわからないから普段からそれを伝えるために人と交流しましょう、ということです。

では、私のように今の仕事を得るときにお隣の、ちょっとアウトローな方からの紹介で、という場合は人脈力でしょうか…?

2009年1月16日金曜日

変わる!精神科

 精神科のサービスはいろいろあるのですが、厚生労働省の事業は本当にたくさんあります。

 例えば、精神疾患の人に対してのホームヘルプサービス。地域で生活するために、どうしていけばいいのかをその事業所が、ほとんど介護保険とそっくりですが、計画して、実行するというものです。

 また、昨日も書いたピアサポート。これは、経費をクリアできれば、私の勤務する病院(精神科病院のほう)でも、やれそうです。

 そして、経過観察児童に対するデイサービス。就学前に子供をたくさん集めて、療育よりもやや枠組みのやわらかいかかわりをしていくものです。

 どれもやりたいことばかり…。

 そして、昨日、10代の女子高生の方と「発達にばらつきがあるんですよ」というお話をしたばかりです。

 きっと今後そういう風に私とかかわる方が増えて、だんだんと発達障害や精神科の役割が変わっていけるのだなと実感しました。

2009年1月15日木曜日

何か新しいことが・・・?

 割合、多いことですが、私は毎日のノルマが決まっていると安心して生活できるタイプです。

 なんだか、藤家寛子さんのようですが・・・。

 ただ、ノルマを綺麗にこなせないこともあるのです。そういうときにはたいてい、その後でなにか新しいことが起こるのです。

 今回は、厚生労働省で予算のついているピアサポート事業のことをきいて、夢が広がっていました。外来に来ているあの人、この人にピアサポートをお願いしたいなあなどと・・・。

 夢は広がりますが、自分に出来ることもしないとね・・・。自戒でした。

2009年1月14日水曜日

自己陶酔

 昨日の外来はかなり遅くなってしまいました。終了が20時でした。

 実りの多い外来でしたし、外来に来てもらった方たちに十分話を聞けたように思ったので、私としてはいいのですが、病院としては、スタッフとしてはあまりいいと思えません。本来終了は17時なのですから、18時くらいならいざ知らず、20時はちょっと・・・。

 外来を一緒にマネジメントしてくれた看護師さんも、いいですよ、といってくれてましたが、彼女の健康も、ひいては私の健康も心配ですし・・・。

 そんな自己陶酔で、スタッフを振り回してはいけません。反省しきりの外来でした。

2009年1月12日月曜日

書評「虐待を受けた子どものプレイセラピー」 エリアナ・ギル著、西沢哲訳 誠信書房





書評「虐待を受けた子どものプレイセラピー」 エリアナ・ギル著、西沢哲訳 誠信書房

この本に関して言うと、仕事で使うつもりだったので書評を書こうと思っていなかったのですが、やはり自分のためにこうして書いております。おもしろい、と いう本ではありません。虐待を受けた子どもたちに対して、援助者としてどのようなサポート方法があるかという本です。さりとて、マニュアルと言いきれるほ ど事務的な本ではありません。これは、虐待を受けた子どもたちへのサポートとしてのセラピーに方法論が確立しきっていない、柔軟性のある分野であるからこ そ言えることでしょう。

その中で私がこの本の書評を書こうと思ったのは、数ある虐待支援の本の中で、この本がかなりわかりやすく解離症状の治療について書いているためです。

(9)解離症状の治療
  • トラウマを受けた人は解離症状を示すことがある。セラピストは解離症状の存在の有無及びその程度を適切に評価し、解離のプロセスに治療的接近を図らねばならない。
  • (子供の解離現象への対応)
  1. 言葉を作ること;「「何かをしているときに、知らず知らずのうちに気持ちがどこか別のところに行っちゃってるって言うことは誰にでもあることなのよ」→肯定した場合にこの状況に名前を付ける。
  2. 解離使用のパターンを評価する;最近起こった解離状態について聞く、どんなときに最も怒りやすいのかを聞く。→この後で、解離が起こる場合の類似性について話し合うのもよい。
  3. 解離状態に至る流れを探る;解離を防衛として用いる傾向のある人は、解離反応を生じるための独自のやり方をもっている。そこで、身体、情緒、感覚、思考に特に注意を払いながら子供に解離を起こしている「ふり」をしてもらうという方法がある。
  4. 「適 応的である」という説明;解離反応に対する肯定的コメント「人は誰でも、とても怖いことがあったり、あまりにも苦しすぎて気持ちを感じるのが大変な時があ るのよ。そんな時には誰でも、しばらくの間、心がどこか別のところに行ってしまうものなの。そうすることができるのはとてもよいことなのね」
  5. きっかけを理解する;解離がどんなときに役立つかを子供と話し合うことによって、セラピストは何が子どもの逃避反応を誘発するきっかけとなっているかを把握できる。
  6. 問 題となる情緒へのアプローチ;子供にとってどのような状況や情緒が問題となるかが同定されたら、それらの状況や情緒をセラピーによって取り扱っていくこと になる。子どもはそれらの徐著を回避したり抑圧しなくていいように、対処術を学ぶ必要がある。(例)特定の感情の外化;「怒りの絵」、「私が最も腹を立て るときは・・・」などのオープンエンドの質問を完成してもらう。
  7. 逃避反応に変わる行動の探究
  • 解離反応の治療の目標は、どのようなときに解離反応を利用するかを自分がコントロールできているのだという感じを子どもが持てるようになること、そして解離反応に変わる別の対処技術を子どもが身につけることである。

このような書き方をしている本は今までほとんど知らずにいたからです。

すべての項目を使ってサポートをと思っています。もちろん、私の依頼している心理士さんのチームがすでにしていることでもありますから、どのようにこれを統合していけばいいのかと、今考えています。

そしてこのように考えるきっかけをくれた本でした。

2009年1月11日日曜日

スポーツは、体と心を犠牲にしていないか?

 知り合いのお孫さんが、スポーツクラブの合宿中に発熱して、病院に受診したそうです。それにもかかわらず、翌日の試合に体調不良をおして出場したとか・・・。

 詳細はわかりませんが、これはいいことなのでしょうか?

 私には、どうにも納得できません。

 私にしてみれば、そんな体調不良は好きでなっているわけではないのですから、そういう時にこそ休養をとることを、スポーツの指導では伝えるべきではないでしょうか?

 そして、このような美しく聞こえる「自己犠牲」がそのあとどのくらい、体に影響するか本人も周囲の人もわからないのだろうなと思いました。

 私は確かにスポーツ全般が苦手です。でも、歩くとか走るなどは好きなのです。要するにそれが人と競争するという事態になったら、もう苦手です。そういう人間のたわごとなのかもしれませんが、「自己犠牲」が推し進められると、相手にもそれを要求してしまい、体調不良で休養をとることができず、ひいては将来的には、仕事にも影響する事態になりはしないかと心配になります。

 この「自己犠牲」が進み過ぎて、チームメイトである相手を見つめることなく「勝利」にこだわり続けるのは人間として、恐ろしいように思います。

 杞憂だといいのですが。

 ちなみに知人のお孫さんは、すっかり元気になったそうです。それを聞いてホッとしましたが。

2009年1月10日土曜日

書評「加害者は変われるか?」信田さよ子著 筑摩書房 








書評「加害者は変われるか?」信田さよ子著 筑摩書房 1500円(税別)

 加害者は変われない、というのが私 の持論です。

 なぜなら、児童虐待やDVは加害者には自分の行為が分からないから、というのが理由です。

 ただ、日常的に児童虐待やDVの被害者と会っている と、加害者が変われないとしてもそれでもその加害者と一緒にいることを選択している人がいるのです。

 混乱がありながら、この本を手に取って読みました。

 こ の本を読み終えても、その混乱はすっきりしません。加害者を教育することも大変な困難があり、被害者を守ることも今の日本では制限がある。

 しかしそれで も、著者は徹底的に目の前にいるカウンセリングにきた被害者の見方になることを選択しています。見方であって、味方ではありません。

 そして、その見方の向 こうに加害者をみて、その被害者・加害者関係のバランスをとる。私が実際にそれを実行するとしたら、いったい自分はどうなってしまうのだろうかと気が遠く なりそうになります。

2009年1月9日金曜日

叱っちゃ、だめ?

昨日の外来で、初診の方のおかあさんが話していたことが気になりました。

「この子が単なるわがままなら叱ってもいいと思いますが、障害があるのなら、と思って受診しました。学校の先生も同じ意見です」。

このコメント、障害がある子なら、叱ってはいけないという文脈にならないでしょうか?

障害がある子どもは、叱ってはいけないのでしょうか?

私は、叱るという定義は「人間の社会で生きていけないような行動をとったときに、それを改善するために、第三者がそのことを伝える行動」としています。

叱ったらいけないわけはないと思います。

たとえ、障害があってもなくても。もっというと、叱ってもらえないと、人間の社会で生きていけないようにされるという意味ではないかと思うので・・・。

ただ、昨日初めてお会いした方に、そこまでの私の考えを今は伝えるタイミングではない、と判断して、昨日はやめました。さて、いつかこれを伝えましょう・・・。

2009年1月8日木曜日

読書

 お正月は読書でした。読書三昧、という訳にはいきませんでしたが・・・。

 ただ、かなりの本が読めて、ここにお伝えするのが間に合わない感じでした。

 そして、今、息子と入浴するときに半身浴しながら読書です。息子は楽しく、お風呂のくまちゃんの湯温計で遊んでいます。20分間ですが、これも読書の時間です。

 いつの間にか私が関わらなくても、お風呂につかっていられるようになったのです。

 いつか二人で読書しながら半身浴といきたいです。まあ、小学生のうちしか一緒にお風呂には入れないのでそのときにでも、と思っています。

2009年1月7日水曜日

仕事はじめ

 昨日はちょっと遅れてですが、仕事はじめでした。

 出勤前は前回書いたようにドキドキでしたが、結果的には、昨年に来てくれた方たちと再会しての、和やかなスタートでした。

 ホッとしました。

 ただ、私の勤める病院がこの2月から建て替えるので、私の外来も騒がしくなるようです。というのも、私の外来の窓を隔てたところから工事が始まるのだそうですから…。

 それを昨日教えてもらい、ちょっと、とほほな気分になっています。

 看護師さんとは、「夏じゃないから、窓開けないし、いいとしましょう」と話したのですが、あまり騒がしいと、話が聞きにくいですよね・・・。

 実際に始まってからまた、さまざまなことがわかっていくのでしょうけれども・・・。

 そんなわけで今年の外来も始まりました。

2009年1月6日火曜日

書評「親密さの罠;Be!増刊号No.17」





書評「親密さの罠;Be!増刊号No.17」 特定非営利活動法人ASK 1000円(税別)

関係依存や DV、虐待という、まさに私が外来でみせてもらっていることが網羅された一冊です。すごいなあと思いました。

私がそう思ったのは特に、当事者の方たちの手記。

「母 の前に立つと・・・生きる力がすうっと奪われる」など、当事者の方の画像となってしまうような表現が、リアルですごいのです。

親が子供に対して「自分とこの子は 違う」と思っていない(他社性の喪失)、「不健康な親密さ」と「健康な親密さ」の違いを表している図、自分のしてほしいことをしてくれないと怒るという DVのシステム、などなど、自分にもあてはまりなおかつ、そういうことだったのかとうなづけることが満載です。

中でも、自分と相手との境界を知るリストは とても大事だと思いますし、もっと、わかりやすい言葉で編集して、小学校の副読本にしてほしいと思える本です。

2009年1月5日月曜日

書評「発達障害のある子どものきょうだいたち」




書評「発達障害のある子どものきょうだいたち」 吉川かおり著 生活書院 1300円(税別)

 タイトルからして興味をひかれた本で、即購入でした。以前、外来のときに、発達障害のある人の兄弟で、ひきこもりの状況にある人の件で相談にのったことがあるからでした。

 兄弟 が障害があるから、というよりも、障害がある人が家族にいることで周りから受ける物理的心理的状態が、つらいのではないか、と思えたのです。

 今までは私は 障害のある人の親御さんたちを支援することを主に考えていましたが、今後、兄弟も視野に入れたいと思い始めました。

 というのも、本書の以下の部分を読んだ からです。

 ≪きょうだいが受ける影響は、二次的なものと考えられていますので、兄弟に対する公的な支援はほとんどないのが実情です。しかし、二次的である にせよ自力で超えるのは大きすぎる山に立ち向かわざるを得ない人はたくさんいるのです。もちろん、きょうだいたちが出会う困難は、心理面だけではありませ ん。実際に障害児者のケアに携わる際にどうしたらいいのか、友人・金凛関係の中で障害をどう説明しどのようにふるまったらいいのか、社会から誤解や偏見を 受けた時にそれをどう捉え対処したらいいのかなど、社会・生活能力の面で支援が必要となる場面はたくさんあります≫。

 単に、障害のある人のきょうだいに読んで頂くだけではなくて、これから結婚したり、妊娠したりという可能性のある、十代の女の子たちにも、お勧めです。
 
 障害がある子どもをもったとしても、きょうだいも仲良くやっているという巻末のインタビューを特に読んでほしいものです。

2009年1月4日日曜日

どきどき

 もうすぐ仕事はじめです。今年はどんな年に仕事はなるのでしょうか・・・。

 毎年仕事はじめの前はどきどきです。

 毎年、何とか乗り切っているので、大丈夫と思うのですが、それでもどきどきするのです。

 若いころ、常勤の精神科医だった時にはいろいろありました。当時はポケベルだったのです。冬の山道で坂を登れなくて、国土交通省の人が融雪剤をまいてくれてようやく坂道を上がれるかどうか、のときに、ポケベルがけたたましく鳴ったりしました。あの時は、相当焦りましたが・・・。

 そうかと思うと、何の魅力もない私にいきなり初診の患者さんが一目惚れしたと言いだして、後を追いかけまわしたり。

 別の人からは(女の人でしたが)、妄想の対象になってしまい、毎日暴力にあったり。

 まあ、これら以上のことはないかもしれないです。

 が、毎年、これ以上のことがあるかもしれないと思うと、ドキドキしてしまうのです。

2009年1月3日土曜日

書評「自閉っ子、えっちらおっちら世を渡る」ニキ・リンコ


書評「自閉っ子、えっちらおっちら世を渡る」ニキ・リンコ著 花風社 1600円(税別)

 翻訳家ニキリンコさんの、アスペルガー症候群とつきあってきて、世の中とうまくやっていく方法を手に入れるプロセスを書いた本です。

いやいやおもしろい。

 自分との共通点を思い知って、とても楽しめてしまう。特に、冒頭からの品川にまつわる話は、私も同じようなことを経験しているので・・・。

 ただ、私の場合はニキリン コさんとはやや違っていて、知識を知ってから保温しておく(もしくは発酵する)のを楽しむのが好きなので、ここまで追求しなかっただけであるような気がし ています。ニキリンコさんのいう、「すておけ力」が私には多少あるのかもしれませんが・・・。

 この本の場合、独特の語彙と、それにまつわるエピソードが満 載で、しかも花風社の社長の浅見さんとのやりとりもニキリンコさんのエッセイの合間にあり、定型発達をしている人たちと、自閉症圏の人たちとの違いがわ かって面白いです。

 何よりこの二人の場合、やり取り自体が面白いです。

 浅見さんがニキリンコさんの物の受けとめ方、自閉っ子たちの考え方が好きなのだろうとい う点も垣間見えて、自閉っ子の楽しめるワールドへの旅のお供にぴったりです。



2009年1月1日木曜日

今年の抱負

あけましておめでとうございます。今年も考現学よろしくお願いします。

というわけで、今年の抱負を考えました。
  1. 健康;具体的には、犬の散歩と息子との散歩をすること。
  2. 仕事;やりすぎない。他の人へ依頼する。そのためには、人材育成もある。それで学会発表・・・。
  3. そのほかの活動;趣味としては編み物かな。もっといっぱい作品をと思います。最近凝っているのが、簡単にできるニット関係のもの。昨年はコースターを作ったり。そして、料理。今年も梅のジャムを作りたい!

もっとたくさんやりたいことがあるんだけれども、また追い追いに、と思っています。