2009年5月31日日曜日

発達障害とうつ

 私の外来に来てくれている方は大人も多いです。大人で、うつの人も多いのです。

 女医さん希望で来てくれる人もいます。女性に多いですが。

 その中で、発達障害の人たちがおられます。

 当然ですね。発達障害のある「子供」もいつしか、「大人」になるのです。しかも発達障害をもって。つまり、うつの人たちの中に、発達障害の人たちがかなりいるのです。

 驚かれるかもしれませんが、発達障害があってうつがある人たちはたいていが女性です。おそらくですが、以前から私が言っていることなのですが、発達障害のうち男の子で目立つタイプは、言語発達が遅いタイプなので(自閉症圏内と思しき人が多いです)、幼児期に発見できるのでしょう。ただ、言語が通常程度発達して、対人交流の困難さがあるタイプはおそらく女の子に多いのでしょう。
 だから逆に言うと、発達障害だと気づくのが遅くなってしまうのではないでしょうか?

 発達障害がある、と気づくことのないまま生活を送っていると、つらくなってきたり、生きづらくなってしまったりして、二次障害としてうつがおこるので、その結果、私の外来にくることになったのでしょう。

 この場合、いくらお薬を飲んでもらってもなかなか効果が出てすっきり症状改善!とはいかないのです。それが私にとっても、来てくれた方にとってもつらいところです。

 高校に入ってから周りとうまくいかなくなって、私の外来に受診してお母さんも初めて「発達障害」と聞いて納得はしたけど、うつもあって、なかなか外来に受診できずにいるという方もいます。
 
 かろうじて就労しているけれども、人と会うことや、組織の中で人と接するのが大変でつらい、という20歳代の人もいます。

 シングルマザーで、お子さんも自分も発達障害で、自分の常識が他の人と違うから、これは虐待なのかと日々悩んでいる人もいます。

 女の子の発達障害、そしてうつ。

 これをどうしたらうまく発見できるのか、発見後サポートできるのか。

 最近特に考えています。

2009年5月28日木曜日

発達障害?

 私自身が外来で、来てくれた人に伝えるときに思うのですが、いまさらながら、発達障害って、いったい何なのだろうか、ということです。

 突き詰めると、発達に障害がない、完璧に発達している人って、いるものなのでしょうか?

 そして、完璧に発達した人とは、どんな人なのでしょうか?一緒にいて楽しくなったり、もっと話をしたい、一緒にいたいと思える人なんでしょうか?

 このことは、逆説的でありながら、私にとっての真実だと思うのです。
 つまり、発達が完ぺきな人はおそらくいなくて、どんな人も発達という観点では、ばらつきがある。

 むしろ生きていくうえで大事なのは、人とどのくらい関われるか、どのくらい楽しく付き合えるか、どのくらい自分を人間関係で表現できるか、によると思うのです。

 だからこそ、発達障害と呼ばれる子どもたちは悩むし、私もそのことを言葉で伝えるのには、悩みます。

 先だって、とても驚いたことがありました。
 
 発達障害のある、パニックを起こしやすい小学生がずっと受診してくれているのですが、その人が担当の心理士の先生(心理療法を行っている)の名前をだして、「早く会いたいんだよね。もう(診察を)終わってもいい?(そして引き続いて心理療法なので)」と私に言ったのです。

 その人のことを私はずっと、(人とあまりかかわりたがらないタイプ)と勝手に思っていたので、とても意外でした。

 そして、心理士の先生のところへ喜び勇んで駆け寄ったのです。

 人とかかわることが、好きになったんだあ、とうれしくなりました。

 お母さんによると、友達というか一緒に行動できる人も増えてきたようです。

 発達が完ぺきである必要なんてなくて、自分がかかわっている人とどのくらいたのしめるか、だと思います。

 そして、発達障害を矯正するところではなくて、自分がかかわっている人と楽しめる生活ができる方法を伝えるという外来であると、伝えたいのです。

 
 

2009年5月15日金曜日

講演

 僭越ながら、昨日、講演会の講師になりました。

 「せん妄」についての講演会です。院内スタッフ向けのです。
 私は、子どもの精神科なんですけど、それでもいいのでしょうか?と、主催の外科の先生に伺うと「もちろんです」ということでしたが、あまりに自信がなくて。

 ネットや自分の持っている精神科の教科書で、調べに調べて、資料を作成して出向きました。

 私自身としては、せん妄の方であっても、子供であっても、スタンスはあまり変わらないですが、そこを伝えるべきかどうか悩みました。おそらく、講演会に来る病院のスタッフの方たちは、その疾患に特異的な対応方法を知りたいのだろうし・・・。

 ただ、最後は人間対人間だからと考えなおして、私のスタンスはお伝えしました。

 大したことじゃないです。

 ぐあいの悪い時には、論理的に思考できないので、論理ではなくて、その人の感情に伝える、つまり態度や様子を感情的に受け入れやすい内容にすることがだいじではないでしょうかという、その程度のことです。

 ただ、忙しいとわたしもついついとげとげしく対応してしまうので、まだまだですが・・・。

 どうしてそう思ったかというと、昨年の子宮外妊娠の時に自分の勤務する病院で手術・入院だったのですが、そのときにそのようにしてくれるスタッフの人が多くて、私がとても楽に過ごせたからです。

 そういう意味で、もうスタッフの皆さんは実践しておられるのですが、言葉としてご存じないかもと思ったので・・・。

 いずれにしても楽しい講演会だったので、ありがたかったです。スタッフの役に立てればなあと思います。

 

2009年5月14日木曜日

「かわいくやせたい」

  先日、摂食障害の中学1年生が外来にきてくれました。

 受診したかったわけではなくて、お母さんが心配するからお母さんの顔を立ててきてくれたようでした。お母さん思いの優しい人なんだなあと、思いました。

 体重は減少の一途をたどる拒食型の摂食障害です。

 こういう方の場合、まったくといっていいくらい「病気」だと認められないようです。それが、病気の力だと思うのですが・・・。

 今回も、ご本人よりもお母さんとお話しをしていました。お母さんは医療関係の方ですが、でも、摂食障害だとは思わなかったと泣いてしまいました。

 お母さんに「ご本人は病気のせいで、なかなかつらいとか、苦しいとか思えないので・・・」と話したところ、号泣して「そうですよね、本人が一番つらいんですよね・・・」と言ってくれました。

 お母さんを応援していくことで、彼女にもアプローチできたら、そう思いました。

 今は、彼女の「やせたい」「かわいくやせたい」という気持ちを、応援しつつ、体がしんどくなったら入院しようねという約束をできたらいいなと、今後の方向性を模索しているところです。

2009年5月11日月曜日

ビデオ上映会「ひきこもりのすすめ」

 5月10日はすくーるばくで、ビデオ上映会でした。

 べてるのビデオ、精神分裂病を生きるシリーズ7巻「ひきこもりのすすめ」を観ました。

 私はかねてから外来で、ひきこもりの人たちに、というか、ひきこもりの経験のある人たちというべきでしょうが、その人たちに、「なぜひきこもりをしたのか」という問いを出すのは、どうもおかしい、と思っていました。

 なぜか、というと、ひきこもる理由なんて、おそらく忘れてしまったりというようなものだと思うのです。その、本人でさえ忘れてしまったことを追求して、ひきこもっている苦しさに目を向けないのは、どうなんだろうと思っているからです。

 たしかにあまりひきこもりの苦しさに目を向けてもつらいかもしれませんが、理由や原因を追求しすぎるのもどうなのかと思えるのです。

 このビデオでは、原因やひきこもりの解決について、あまり積極的に語ってはいません。

 むしろ、このビデオの特記すべき点は、「ひきこもりはプラスになる」という主張です。

 自己を見つめる時間であり、自分にとって、何が大切なのかを見極める時間だというのが、ビデオに登場するメンバーの山本さんの主張です。

 登場するメンバー全員は、およそ考えうるすべての、つらい体験をひきこもりによってします。自責感から死を考えたり、人とかかわることも含めて、新しいことに向き合うたびにひきこもり、自己肯定感を削っていったり・・・。

 身体的な死も考えるメンバーですが、むしろ彼らを苦しめているのは、ひきこもりによって社会的な「死」を体験したことです。

 ただ、ここで価値観の大転換が起こるのですが、何かのポイント(それはどうも個々人で違うようですが)で、ひきこもりの体験をプラスにとらえられたときに、ある種の「強さ」が得られるようです。

 このビデオは、その「強さ」を得るまでの軌跡、私はそう思います。

 こんな難しいことを考えずとも、親子みんなで楽しめるビデオなのでお勧めします。