2008年10月31日金曜日

書評「ダイバーシティ」




 書評 「ダイバーシティ」 山口一男著 東洋経済新報社 1800円(税別)

 この本は二つの部分から成り立っています。前半はフアンタジー、後半は教育劇でゼミの場面を扱っています。

 好みがあるでしょうが私は前半が好きです。

 他 の人が持ち合わせているものをもたない主人公ミナが数々の論理パズルを解き明かしつつ、魔法使いに会ってそれを手に入れるという内容です。
 
 数々のパズルの 中には多くの困難が含まれています。その中で、うっそうとしたさびしい森を通るとき、ミナは幻覚を観るように昔のことを思い出してしまい、そのざわめきに より、孤独感に追い詰められます。

 その時に、ミナは「私はひとりぼっちじゃない。人は自分がひとりぼっちになることを恐れて、自分のことしか考えなくなる から、かえってひとりぼっちになるのです。私は、自分がひとりぼっちになるとは思わない。私はひとりぼっちは怖くはないし、自分のことだけを考える人間 じゃない。だから私は、絶対に、ひとりぼっちにはならないわ!」と口にします。

 この場面が、自分と自分の周りとの関係を肯定的にとらえ、人との関係を気付 くという意味をあらわしているのではないかと思えるのです。

2008年10月30日木曜日

禁煙治療は苦しくない!

「やめたい」葛藤1年半 結婚も決まり笑み 新薬が効果、禁煙外来 「ニッポンの現場-記者がゆく」
このニュースについての掲示板

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2008年10月28日】

 公共の場で禁煙が進み、歩きたばこも違反金の時代。厚生労働省の調査では、喫煙者のうち女性は3人に1人、男性は4人に1人が「やめたい」と考える。それでもやめられない人向けに「禁煙外来」を設ける病院が増え、全国で7000を超す。禁煙の最前線を訪ねると、新薬も開発され、効果を挙げていた。

 「喫煙者の半分はたばこが原因で早死にするといわれてます」

 年間100人が受診する大阪府豊中市の「薗はじめクリニック」。1時間半のカウンセリングは衝撃的な言葉で始まった。薗はじめ院長から「どんなの吸ってるの」と聞かれ、「軽い」と思っているたばこを見せる。「軽いのでも体への影響は大差ない。喫煙にはきちんとした治療が必要」。熱く語る説明に納得。何枚ものうろこが目から落ちた。以来3カ月、何とか吸わずにすんでいる。

 「熱狂的阪神タイガースファン」という豊中市の会社員斉藤久美子(さいとう・くみこ)さん(32)の喫煙歴は十数年。1日1箱、多い時で2箱。薄い化粧にTシャツ、スカート姿の斉藤さんは「映画やライブの途中も抜け出して吸った」と振り返った。

 「やめてほしい」。禁煙のきっかけは付き合って2年の彼氏のひと言だった。出産への影響も頭をよぎった。

 「やめる、やめる」。軽く応じた。でも、やめられなかった。車で出掛ける時は、何度も「トイレに行きたい」と止めてもらい、隠れて吸った。「やめなきゃ」という思い。吸い続ける現実。1年半、葛藤(かっとう)した。

 そんな時、禁煙した友達に勧められて、6月、意を決し「最後のとりで」と考えてクリニックを訪れた。問診でニコチンの依存度を調べ、カウンセリングを受ける。健康への悪影響や、やめられない医学的理由を聞き、飲み薬の治療を選んだ。

 以前は、ほおと歯茎の間に挟んで粘膜からニコチンを摂取するガムや、シールを張り皮膚からニコチンを摂取するパッチが主流だったが、ニコチンを含まないのに、吸いたい衝動を抑えられる飲み薬が開発され、非常に効果を挙げていた。

 初診の最後、薗院長がにっこりほほ笑んだ。「やめられるまで付き合いますから」。迷いが吹き飛び、一歩目を踏み出す勇気をもらった。

 飲み薬による治療は、薬の摂取量を増やすため、最初の1週間は準備期間としてたばこを吸いつつ薬を飲む。この1週間が「一番しんどかった」。「本当にやめられるんだろうか」。何度も不安に襲われた。

 そして7月1日、禁煙開始。彼氏から毎朝「頑張れ」とメールが届いた。くじけそうな時は院長の顔を思い出し、大好きなタイガースの応援歌で自らを励ました。

 禁煙日記も力をくれた。「どうなるかドキドキする」「禁煙開始、今のところ大丈夫」。不安に押しつぶされそうになっていた時を思い出し、自分を奮い立たせた。

 もちろん、つらさはあった。でも努力や苦労とは感じなかった。「葛藤していた時の方がよっぽどきつかったから」

 10月、規定の5回の受診を終えた。たばこは一切口にしていない。肌が柔らかくなり、口臭も気にならなくなった。

 「彼氏と海に行った時も『トイレはええん』って聞かれた。ライブも最後まで見続けることができた」と満面の笑み。「たばこが障害になっている部分があった」という結婚も決まった。

 「すべてから解放された気分。禁煙って怖くないやん」

▽禁煙外来

 禁煙外来 たばこをやめたい人向けの専門外来。精神面の支援やニコチンガム、ニコチンパッチ、ニコチンを含まない飲み薬などを使って治療する。禁煙への費用は健康保険対象外で患者の全額負担だったが、2006年4月から、ニコチン依存度などの基準を満たす患者には保険適用が認められた。厚生労働省の検証調査では、規定の5回を受診した場合の禁煙継続率が、途中でやめた人より高く、効果が認められた。


(以下、psycho)

 この記事の通りのことが起こっているらしいのです。具体的に言うと、「禁煙(治療)は、苦しくない」のですよ!

 このことは10月18日に参加した産業医研修で、会場にいた禁煙治療を経験された方がお話しされていました。その時は私は半信半疑だったのです。「えー、そんなことってあり?!だとしたら、今までの苦労はなんだったのかなあ」という気持ちでした。

 今までの苦労は、しなくてもいい苦労だったのかもしれません。

 確かに、新しい治療方法が続々と最近出ていますし。たとえば、ニコチンパッチにしてもおよそ考えられなかった時代も長かったですし。

 ニコチンパッチといえば、PTSDの人に処方していたことを思い出しました。その人は女性でレイプの被害を受けた人でした。「たばこを吸っているときには、安心していられる」といった彼女に、私は「体に悪いから」という善意でニコチンパッチを処方しました。こうして書いていると、これでよかったのか、と当時の私に問いかけたい気持ちになります。

 PTSDの治療はうまくいっていたか、それさえもあまり自信がありません。私は転勤で彼女と会えなくなりましたし。

 禁煙治療と一口に言ってもいろいろあるのです。

2008年10月29日水曜日

育児不安

 昨日の外来で、3歳の男の子が再度外来に来ることになりました。以前から、多動や発達の遅れなどを主訴にしていた方です。

 と言っても、本人がそういう訴えをしていたのではありません。もっと言うと、親御さんたちでもありません。具体的には、その周りの人がそういう訴えをしていたのです。だから、親御さんたちも病院受診をためらっていました。

 それはそうだろうと思います。私は以前にこの方のお父さんに会ったのですが、かわいがってるなあというのが一目でわかるのです。一緒に遊んだり、一緒にいて話を聞くのが楽しいという方でした。私にはあんまりそういう穏やかな様子では接してくれませんでしたが、周りから言われての病院受診ですから、当然ですし、彼との関係性を見せてくれただけで私はよかったですし。

 ただ、お母さんが以前からなんとなく、子どもと接するのが苦手、ということをぽつぽつと話しておられました。ただ、お父さんがかなり子どもさんの受診を強烈に嫌がり始めたので、いったん中止せざるを得なくなりました。

 その後、別のきっかけで受診再会の運びとなったのです。それが昨日のことでした。

 子どもさんのほうは、落ち着いてきたなあという感じでした。ひとりで穏やかにブロック遊びをし、うまくできた「作品」を見せてくれるのです。「なかなか、かっこいいね」と私が言うと、照れてしまいました。かわいい・・・。

 ただ、お母さんは泣いていました。「自分はこの子がかわいいと思えないし、接し方もうまくない」とさめざめと泣くのです。

 事情を詳しく聞くと、「できちゃった結婚」でなぜか産婦人科医にまで入籍のことで説教されてしまいやり切れない気持ちになったこと、こどもさんが産後すぐに保育器に入るほどの重症となってしまい、全然授乳ができなくてとてもさみしかったこと、初めて授乳したときに看護師さんにこてんぱんに叱られて泣きあかしたこと、2,3か月目にあまりに育児ばかりでつらくなってしまい、人に子どもさんの世話を頼んで外出したところ、夫(子供さんのお父さん)にひどく叱られてしまったこと、をとつとつと語るのです。

 「それって、誰でもあることだと思うよ。若くしてお母さんになったんだし、そういうことあっていいのに」と私が言うと、ますますさめざめと泣くのです。

 実は私はこの方のことがちょっと苦手でした。おそらく、この方自身も発達障害があるのかもしれないのですが、全然コミュニケーションが取れない感じだったのです。

 でも、「なんとかしたい」というこのお母さんの気持が伝わってきて、とりあえず、いっしょに今後もお話をしていくことにしました。一応、お母さんには宿題を・・・。

 それは、叱ってしまったことを書いて、フォローをどうしたか日記にしてもらう、ということです。できるかどうか、まず、やってもらって、ということにしました。

 次回、またお会いできるのが楽しみになりました。

2008年10月28日火曜日

帰宅

 昨日、帰宅しました。家に帰ると、ほっとする・・・。息子も同じのようです。

 家に着くなり、自分のお気に入りの車のおもちゃで遊び、おばあちゃんに話をして、夕食にしました。その後、入浴。

 実家では全然お風呂になりませんでした。どうも実家のお風呂がコンパクトなのが気に入らないらしく・・・。家は、少し広めなので、それが彼の気に入っているのかもしれません。

 息子の入浴方法で結構笑えるのが、お風呂の最後に洗面器にお湯を張ってお尻だけつかることです。私は「尻湯」と呼んでいます。これも彼がお気に入りの行動です。途中で制止すると、彼は怒るのですが、寝る時間などを考えると制止せざるを得ません。

 昨日は、制止して怒ったのですが私には効果ないと知るや否や、うつむいて後ろを向きました。笑えます。

2008年10月27日月曜日

「たまりば」の西野さん

朝、いつものように早朝から、ネットを見ていました。

ゆっくりと婦人公論11月7日号を読みながら、やっていました。なぜ、婦人公論を買ったのか?といえば、ですね・・・。

昨日、ぜんぜん意図せずにコンビニに入って、読み物を買おうとしたときにこれしかなかったので購入したのです。

よかった。それは、知人の西野博之さんが記事で出ていたからです。とはいえ、しばらくお会いしていないので、西野さんは私のことは忘れたと思いますが・・・。

7年位前にお会いしたかなと思います。当時から「たまりば」をやっておられて、今もそう。以前と変わらないことをしておられます。ほっとしてしまいました。。

なんだか、西野さんが出ていただけでほっとしてあまり記事を読んでいないと気がつきました。急ぎ、読むこととします。信田さよ子さんの記事もあったのだし。

2008年10月25日土曜日

デイケア見学;その2

 今回のデイケア見学で、参考になった点が本当に多かったです。

 具体的には、デイケアに参加するハードルを高く設定することという点でした。つまり、年齢層と疾患を極力均質化して、場に共通点をもたらすということです。これが、この氏家医院のデイケア成功のポイントだと痛感しました。

 自分がこれまで使用としていたデイケアとぜんぜん違っていると思えたのです。つまり、ある程度以上に医療が恣意的にかかわっているといっていいかもしれません。そして、そのことで場に安心感と安定感をもたらしているのです。

 私自身は今まで、自分の体験した場として「べてるの家」を参考に考えていました。私から見て、べてるは雑多というか、多様性があるがゆえに安心感と安定感につながっていると思ったのです。しかし、これは各メンバーにそれまでに成功体験が多いからこそ起こりうることだと今回実感したのです。子供たちの中には、というかほとんどがそのような人との交流において成功体験がないか、薄いのですから、私にできることとしては、氏家医院でのアイディアがしばらくはいいのかもしれないと思いました。

 昨日の午後のデイケアで知った「お絵かきしりとり」も、素敵なお土産になりました。これ、ほんとに面白いです。

2008年10月24日金曜日

デイケア見学;その1

 昨日は氏家医院のデイケア見学1日目でした。

 デイケア見学、といいましたが実際には、作業所もあり、さまざまです。不登校の子たちが成人して以降もサポートする体制をとったということを院長先生がお話してました。たしかに、成人したからいきなり社会へ、というのは難しいでしょうし。

 デイケアで出会った発達障害の人たちのいきなりの人懐っこさも好きで、楽しめました。そして、作業所の喫茶店で働く元不登校の皆さんの料理のうまさや、一緒に働く人に気持ちを寄せる様子も、すごくいいなあと思えました。

 とくに、作業所の喫茶店はサービス業ですから、作業所のメンバー間の業務の振り返りなど欠かせないのです。それを彼らは、日誌をつけての情報共有という形にしていました。少し見せてもらったのですが、材料やレシピ、それに「○○くん、腰痛あり!立ち仕事させないこと!」ということも書かれていて、じーん・・・。

 息子にも、こういう青年になってほしいものです。

2008年10月23日木曜日

北海道へ

 今日から、札幌にある氏家医院http://www13.ocn.ne.jp/~ujiieiin/のデイケア見学のためにきたわけです。

 北海道へは昨日到着しました。久しぶり。意外に寒くない・・・。こんなにたくさん着込んできた私って、何?!という感じ・・・。

 例年10月末ならかなり寒いはず。私が住んでいたころはそうだったのです。でも、今年はやはり異常気象なのでしょうか・・・。

 とにかく今日からのデイケア見学、楽しみです。
 

2008年10月22日水曜日

虐待は日常に潜んでいるのかも

入院中の6歳男児を虐待 傷害容疑で母親逮捕
このニュースについての掲示板

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2008年10月21日】

 入院中の6歳男児に病室内で暴力を振るってけがをさせたとして、京都府警宇治署は21日、傷害容疑で、京都府宇治市の看護学校生の母親(30)を逮捕した。

 府警によると、男児は衰弱状態で入院。のどにやけどのあとがあり、後遺症で食事や水分を十分取れなかった可能性があるという。同署は、母親が熱湯を無理やり飲ませるなど日常的に虐待していた疑いもあるとみて調べている。

 母親は「しつけのためにやった」と供述しているという。

 調べでは、母親は今年2月から3月にかけて3回にわたり、大阪府高槻市の病院に入院していた男児を病室やエレベーターホールで殴ったりけったりし、顔などに軽傷を負わせた疑い。

 虐待に気付いた病院が3月ごろ、宇治児童相談所に連絡。相談所が男児を一時保護し、5月に府警に虐待を告発していた。男児は京都府内の児童養護施設で生活している。

 保育園に通っていた昨年夏ごろにも、園の関係者が体に傷あとがあるのを見つけたという。

 保育園の関係者は「1月ごろ、母親が『食道に炎症を起こした』と申し出て退園手続きを取った」と話している。

(以下、psycho)

 ちょうど雑誌CREA11月号の「30代で母になる」を読んでいました。当然ですが、育児の絶賛記事が満載です。

 たしかに育児は楽しいです。私も、こんなかわいい人から強烈にラブコールされるなんて生まれて初めて、と思います。

 ただ、そればかりではないです。残念と言えば、残念ですが。

 あまりだだこねられると、「あー、もう」と思うこともしばしばです。憎らしいというか、イライラするという感じでしょう。思い通りに動いてくれない子供がいると、その子供もさることながら、自分のことももっとイライラする感じです。

 虐待、というか、暴言であれば私もやってしまったことが多々あります。子供ではなく、その周りの物にあたってしまうのです。

 ただ、その時の子どものおびえた表情は忘れられません。

 そのあとは私は必ず謝ります。「ごめん、悪かった」と。そうすると、子供ってありがたいものでまた許してくれて、私のことを大事な人として一緒にいたがるのです。

 この冒頭の記事のお母さんは、そうは思えなかったのだろうと思います。この人が一番いやだったのは、この人自身なのかもしれません。

 6歳で亡くなってしまうことになったこの子のことを、思うとつらいです。

 

2008年10月21日火曜日

FDAと精神科薬物療法

FDA がうつ病初の経頭蓋磁気刺激装置を承認

提供:Medscape

1種類の抗うつ剤が効かないうつ病成人の治療を目的としたNeuroStar TMS脳刺激装置がFDAの検査に合格した。

【10月8日】1種類の抗うつ剤が効かないうつ病成人の治療を目的としたNeuroStar TMS脳刺激装置がFDAの検査に合格した。

 FDAの検査に合格した初の経頭蓋磁気刺激 (TMS) 装置となる。NeuroStarは埋め込む装置ではなくリスクも「それほど高くない」。そのため、FDAはNeuroStarに単なる「合格」を与えたに過ぎず、正式に「承認」してはいない、とFDAのスポークスパーソンはWebMDに話。

 
 2007年1月のFDA審議委員会でその臨床的有効性が試験で確立されていないと指摘されてから、合格まで2年近い歳月がかかった。TMS治療患者は偽治療患者の2倍の臨床効果を示したようであるが、この効果について委員の一部から「小さい」「境界ライン」「最低限のレベル」「臨床的意義に問題がある」などの意見が出た。


 このように有効性が疑問視されたため、委員会はNeuroStarのリスク/ベネフィット特性が電気けいれん療法 (ECT) のリスク/ベネフィット特性と同等でないと述べた。

 にもかかわらず、FDAは今日、ECTとの「同等性」を根拠にNeuroStarを認可した。

 今回の認可はTMSとECTが同じという意味ではない、とペンシルバニア大学で気分・不安障害プログラムの主任を務める精神科教授Michael Thase, MDは言う。Thase教授はNeuroStarを製造したNeuronetics Incのコンサルタントであった。教授は同社に代わって2007 FDA審議委員会にNeuroStarの臨床データを提出した。

「TMSは有効性、安全性の点でECTと決して同等でない。TMSはECTに比べ有効性は低いけれども、ECTよりかなり安全である」とThase教授はWebMDに話す。

 2つの治療法には重要な違いがある。

 電気ショック療法としても知られるECTは、けいれんを誘発するために電気ショックを用いる。TMSはけいれんや意識消失を起こさず脳の特定部分に微弱な電流を起こすため磁場を用いる。

 ECTは重症うつ病の治療にきわめて有効である。TMSはそれほど強力ではない。軽症うつ病の治療に用いられ、2種類以上ではなく1種類の抗うつ剤が効かない患者で最も効果を発揮する。


 TMSはECTより非常に安全性が高い。ECTと違いTMSは鎮静の必要がなく、外来で行うことができる。


 では、TMSはどのくらい効果があるのか。Thase教授はこれまで治療した患者を通してその有意義な効果を確認してきたし、臨床試験でも効果が認められた、と述べた。「うつ病においてTMSの治療実績は100%成功ではないが、大きな治療効果を支持するエビデンスが研究で認められる傾向にある」という。

 では、やるとすればいつ患者にTMSを試みるのか。

 今回のFDAの合格は、臨床試験で最も成績が良かった患者と同様条件の患者に使用する場合に与えられたものである。つまり、1種類の抗うつ剤では効果がなく、2種類の抗うつ剤をまだ試していない人である。

 「TMSは第一および第二選択治療とECTの中間に位置する」とThase教授は言う。「うつ病が重く入院が必要な患者にTMSを行うことはできないだろう。もちろん、適切な投与量と期間の抗うつ治療を試している人にも不可である」。 
 TMSでは週4~5回、4週間治療を受けなければならない。この間、Thase教授のチームは新しい抗うつ剤を開始し、TMS療法から徐々に離脱していくとのことである。

 情報源:Neuronetics Inc. ニュース発表
ペンシルバニア大学気分・不安障害治療研究プログラム主任精神科教授Michael Thase, MD
Karen Riley、FDAスポークスパーソン
FDA医療用具審議委員会神経治療機器パネル、2007年1月26日会議録
FDA「神経治療機器パネル会議要約」 -- 2007年1月26日
Neuronetics パネル発表、FDA神経治療機器パネル会議、2007年1月26日

WebMd メディカルニュース: "批判されたうつ病治療機器"


(以下、psycho)

 私の推測ですが、FDAは精神科の薬物療法を追いこもうとしているのでしょう。極論を言いますと(私の推測ですが)、FDAは薬物療法を廃止させようとしていると思います。

 以前にも、FDAからSSRIの危険性が発表されましたhttp://www.fda.gov/cder/drug/antidepressants/default.htm。
 また、認知症の人たちへの薬物療法にも「?」をつけていますし(m3.com http://www.m3.com/news/news.jsp?articleLang=ja&articleId=79607&categoryId=580&sourceType=SPECIALTY&)、抗てんかん薬に対しても否定的声明を出しています(http://www.fda.gov/cder/drug/infopage/antiepileptics/default.htm)。

確かにアメリカは、国民皆保健ではないので、長期にわたる治療に治療費をかけるのは民間保険会社にとってはあまり歓迎されません。だから、FDAも、精神科薬物療法に対して否定的見解になってしまうのだろうと思います。

 この趨勢は日本に必ず波及する、私はそう思っています。だから、私は日本でも徐々に薬物療法から離脱する方法をとったほうがいいと思っているのです。

 というわけで、明日から出身地のS市へ、子どものデイケアをやっているところへ見学に行くというわけです。

2008年10月20日月曜日

読書会;ハリーと千尋

 昨日は読書会でした。主催の私と夫以外にも数名の方が集まっていただいて、「ハリーと千尋世代の子どもたち」(山中康裕著、朝日出版社)を読みました。

 タイトルを私は実はあまり気にしていなかったのですが、参加した方から「ハリー・ポッターと千尋を比較した部分はこの本にあるのでしょうか」と聞かれて、とっさに探しました。ありました、ありました。p187です。この部分で、二つの作品を比較しています。

 著者によれば、ハリー・ポッターでは「悪」は「絶対悪」であって、外部にあるものだそうです。ところが、千と千尋ではそうではないのです。「悪」とは自分の中にもあり、いうならば、「影」だそうです。

 これを読んで、合点が行きました。私にとって、ハリーはなんとなく一元的で面白みに欠けると思っていたのです。逆に、千尋は登場人物に深みがあって、おもしろい。千尋に登場する湯婆は、結局は子供を溺愛していて、その子供である坊にとっては、悪人ではないわけですから。私は、湯婆に入れ込んでしまいましたし。

 一冊の本を何人かで読むと、こういう発見があって面白いです。読書会のだいご味ですね。

2008年10月19日日曜日

産業医研修;禁煙治療について

 昨日は産業医研修に行ってきました。禁煙治療のための講演会です。講義が2コマで50分。ロールプレイもあって、講義ばかりではなかったです。

 ただ、ちょっと緊張しました。知っている人がいない上に、みんな私の父親くらいの年齢のしかも、「お医者さん」ですから。

 そうなると自分が緊張して、いつもの通りにはいかない気がしてしまいました。

 講義は、まさしく依存症治療のものと一緒!依存症の人たちとのかかわりが、私の今後にも生きるなあと思って、うれしくなりました。

 ロールプレイはちょっとつらかったです。緊張してるなあというのがよくわかりました。できれば、アイスブレークみたいに、お互いを少しほぐせるプログラムがあったらよかったかと思うのですが、自分の講演でもいかに緊張させている可能性があるかとわかりました。

 というのも、私はいつも大体ぶっつけで質問するので。

 最近は禁煙治療と言っても飲み薬があって、これがかなり楽に禁煙できるのだと会場の体験者の方の意見からわかりました。すごい進歩です。もう苦しい禁煙治療はないのかもしれないと思うと、隔世の感があります。

 ただ、私の場合外来に女性が多くて、今後以下のような問題もあるんだろうなあと思いました。妊婦さんと喫煙の問題です。

ニコチンガムは喫煙する妊婦に有用

提供:Medscape

ニコチンガムと禁煙相談の併用により喫煙本数はやや減ったが、禁煙率の低下はみられなかった。在胎週齡と出生時体重は増加した。

【10月3日】喫煙習慣のある妊婦にニコチンガムと禁煙相談を併用することにより喫煙本数はやや減ったものの、禁煙率は減らなかった。
 一方、在胎週齡と出生時体重は増加した、というランダム化試験の結果が『Obstetrics & Gynecology』10月号に報告された。

 妊娠中の喫煙に対する薬物療法の安全性と有効性を検討する必要性がある」とコネチカット大学医学部(ファーミントン)のCheryl Oncken, MD, MPHらは書く。「非妊娠例の試験で、ニコチン代替療法は禁煙率をプラセボの約2倍にする。しかし、妊娠中のニコチン代替療法が安全で有効な禁煙補助療法かどうかについては、見解が一致していない」。

 同試験の目的は、妊婦の禁煙に関して2mgニコチンガムの安全性と有効性を評価することであった。

 毎日喫煙している妊婦をランダムに2mgニコチンガム(n = 100)かプラセボ(n = 94)の6週間投与に割り付け、その後6週間かけて投与量を徐々に減らした。すべての女性で個別の行動相談を行い、喫煙をやめない女性には、喫煙本数を減らすためタバコの代わりにガムを噛むよう勧めた。全試験期間にわたってタバコの暴露指標が収集された。

 両群の年齢、人種/民族、喫煙歴はほぼ同じであった。プラセボに比べて、ニコチンガムは生化学的に有効な禁煙率を達成しなかった。(投与6週後13% 対 9.6%; P = 0.45; 妊娠 32‐34週18% 対 14.9%; P = 0.56)。

 しかし完全な解析で、ニ コチンガムは1日の喫煙本数の有意な低下(ニコチンガム: ?5.7 [SD, 6.0]; プラセボ: ?3.5 [SD, 5.7]; P = 0.035)およびコチニン濃度の低下(ニコチンガム: ?249 ng/mL [SD, 397]; プラセボ: ?112 ng/mL [SD, 333]; P = 0.04)と関連した。さらに、ニコチン群の出生時体重はプラセボ群より有意に重く(3287 g [SD, 566] 対 2950 g [SD, 653]; P < p ="">

「ニコチンガムは禁煙率の上昇につながらなかったが、ニコチンガムの使用により新生児の健康を推し量る2つの重要なパラメータである出生時体重と在胎週齢が増加した」と著者らは書く。

同試験の限界は、精神の健康問題や物質乱用歴があるなど社会経済的に恵まれていない女性が対象集団の主体であったこと、1日の喫煙本数およびバイオマーカーに対する効果が完全解析でしか認められなかったため、ニコチンガムのタバコ暴露減少効果を明確に示すことができなかったこと、である。

「我々は禁煙と喫煙本数減少の両方でニコチンガムの効果を検討したが、喫煙本数減少の促進を目的に妊娠管理でニコチンガムを常用することは推奨されない」と著者らは結ぶ。

 米国立衛生研究所が同試験を支援した。Glaxo-Smith Kline社はニコチンガムを無償提供した。著者のうち数名は開示情報でPfizer、Glaxo-SmithKline、Nabi Biopharmaceuticals、Ortho-McNeil Pharmaceuticals、H. Lundbeck A/S、Forest Pharmaceuticals、elbion NV、sanofi-aventis、Solvay Pharmaceuticals、Alkermes, Inc、Bristol-Myers Squibb各社と様々な金銭関係にあることを明らかにしている

Obstet Gynecol. 2008:112:859-867.Medscape Medical News 2008. (C) 2008 Medscape

 

2008年10月18日土曜日

医師賠償保険

 m3.comから;

    2008年10月16日       
「勤務医のための医師賠償責任保険(医師賠)入門」◆Vol.1
なぜ勤務医に「医師賠」が必要か
 勤務医・研修医個人が訴えられるケースも 
高月清司(IMK高月(株)代表取締役)
   


 ここ数年、医療事故や訴訟関連のニュースが日常的に報道されるようになっている。こうした医療訴訟などに対するリスクをヘッジするのが「医師賠償責任保険(以下、医師賠)」である。これは病院などの勤務医や開業医が加入する保険だが、勤務医の加入率はまだ高くはない。

 私自身も関係している、メディカルリスクマネジメント情報連絡協議会の推定では、2004年度の卒後臨床研修制度の必修化以降、研修医に加入を義務付ける医療機関が増えたこともあって、20-30代の医師では60-70%医師賠に加入しているもようだが、40-50代の加入率は50%を割っていると言われている。

 従来は医療事故に対する賠償金などの補償は病院が負担してきた。しかし、後述のように病院が医師の責任分まで賠償金を支払えない時代に入っており、自らを守る手段として勤務医の医師賠への加入価値は高い。

 一方、開業医が日本医師会に加入した場合は強制的に医師賠(日本医師会の賠償責任保険)に加入しているので問題はないが、"医師会離れ"が進んでいるとされる中、開業したら開業の形態に合わせた医師賠に加入する必要がある。また、開業して法人化したり、連携する地域の病院に出向いて診療・治療を行う場合、そこで起きた医療事故には自分の医師賠が使えないケースも出てくるので、業務の実態に合わせて勤務医用の医師賠と重ねて加入するようにしたい。

 1.訴訟件数の増加と賠償金額の高額化

 現在、医療訴訟で新規に提訴される件数は年間1000件前後。ここ数年はほぼ横ばいだが、それでも依然として高い水準にある。また、裁判所が抱える医療訴訟(民事)の係争件数は全体で約3000件とされている。弁護士数が急増している現状から、今後、訴訟件数はさらに増えるとの予測もある。

 診療科別では、従来から外科・整形外科、内科、産婦人科の3部門での訴訟が多かったが、今では診療科に"聖域"はなくなった。例えば、今まで訴訟リスクは低いと考えられていた精神科などでも、うつ病で治療中に発作的に自殺してしまった患者の家族が治療ミスを訴え出るなどのケースで訴訟が増加している。

 精神科医が一番心配するのが、診療中の患者が起こした事件が元で、自分の診察ミスとして責任を追及されるケースだろう(例:2000年の西鉄バスジャック事件では、精神科に入院中の少年が許可を得て外出中に殺人事件を起こしたため、この病院に対して批判が集中した)。しかし、日本の判例では賠償責任は直接責任に限定されるケースが多く、今のところ、こうした事例で精神科医の責任が認定されるまでに至っていない。

 賠償金額の高額化傾向も続いている。その算出の基礎となる平均余命(可働年数)や所得金額が増えるに従い、さらに高額化していくものとみられている。

 例えば、2005年2月、福岡地裁で、陣痛促進剤の過剰投与が元で脳性麻痺が残ったとして、9歳の男児の両親が介護費用なども併せて2億6000万円の賠償請求を求めて提訴している。10年前ほど前までは1憶円を超える賠償請求は稀であったが、最近では2億円を超える賠償請求は珍しくなくなった。

 また、最近の訴訟で特徴的なのは、患者側の損賠賠償の請求金額に近い金額で判決が出るケースが増えている点だ。判決は世論に流される傾向が見られるが、患者=弱者救済の流れから、世間一般に"リッチ層"と思われている医師にとって逆風は当分続くかもしれない。

 2.研修医個人も訴えられ、8400万円賠償金請求

 10年ほど前までは、患者側は医療機関を相手取って提訴していた。つまり訴状では「被告:A病院」となっていた。しかし、最近は関係した医師やコメディカルの名前を被告名に連記し、「被告:A病院、B医師」とされ、「連帯して支払え」と訴えるケースがほとんどだ。研修医についても例外ではなく、卒後臨床研修の必修化に伴い、身分と報酬が確立されたことを背景に、ハッキリと責任を課す判決も増えている。

 例えば、2005年1月の埼玉高裁の判決では、抗癌剤の過剰投与で患者が死亡した事件で、病院に加えて、実際に過剰投与した研修医の責任も認め、計8400万円の損害賠償の支払いを求めている。

 さらに、最近では、勤務医であっても医師個人が訴えられるケースも出ている。

 3.病院賠と医師賠の違いが影響

 個人の医師が加入する医師賠のほかに、病院が加入する「病院賠償責任保険(以下、病院賠)」がある。これは勤務医個人が加入する医師賠に、医療施設としての管理責任をカバーするもので、病院賠の補償内容は個人の医師賠と相違はない。 

 異なるのは保険料の仕組みだ。勤務医が加入する医師賠は個人が何度保険を使っても翌年度以降の保険料は今のところ変わらないが、この病院賠は自動車保険と同様、医療事故を起こし保険金の支払いを受けた場合、次年度以降の保険料に大きく影響する仕組みとなっている。

 従って、全国の病院の7-8割が赤字経営に苦しむとされる中、個人医師医師賠加入を義務付け、なるべく保険料に増減のない医師賠の保険から保険金支払いを受けようとする病院が増えるのは、経営上無理からぬことと言える。

(以下、psycho)

 psychoも医師賠償保険に加入しています。それは、医局を離れてまったくのフリーになったときにこれから絶対に必要になるはずだと思ったからです。

 余談ですが、「ER」というアメリカのテレビシリーズがあります。救急治療室の日々を描いたもので、現在第18シリーズまであります。私が見始めた当時は第5シリーズでした。その時にものすごく印象的だったのは、主人公が尊敬する救急医のDr.グリーンが医療ミスで訴えられていて、なんども、呼び出しをくらっていたことです。

 こんなに消耗することは、したくないと心から思いました。

 もしも医療訴訟で被告になったとしたら、それは感情的にも肉体的にもつらいと思ったからです。

 このシリーズを観た人はわかると思いますが、Dr.グリーン本当にいい医者なんです。それが、このような専門外の裁判に出向くエネルギーを使わされ、本業に影響が出ないわけがないからです。だから綿者できるだけ、医療訴訟に巻き込まれないようにしたい、と思い始めたのでした。

 閑話休題。


 医療訴訟の被告になって、敗訴した場合、私ならば補償額は支払いきれないでしょう。だとすれば、賠償できるような保険に加入するしかないと思ったのです。それが、だれも守ってくれないフリーの医者の処世術だろうと。

 アメリカがすでにそうなっている以上、いずれ日本もそうなる可能性があるのです。だから私はそのようにしていこうと思ったのです。

 個人の責任において施行した医療行為で訴えられる可能性は十分にあるのです。まして私は精神科医なので、「言った」「言わない」の世界に陥りやすい・・・。だとすれば、賠償保険の価値はありそうです。

 私は今のところ、医師会に未加入ですが、県医師会の主催する保険に加入しています。

 自分が誠意を尽くして行った医療行為であっても、何が起こるかわからないし、どういう解釈になるかわからないのです。それは、自分に悪意があったか、なかったではないと思えるので、私は保険に加入しています。

2008年10月17日金曜日

懐かしのセンター試験


センター試験、52万4千人余り出願

2008年10月15日 朝日新聞

 来年1月に行われる09年度大学入試センター試験の出願が14日、締め切られた。大学入試センターによると、同日午後5時までに到着した願書は52万 4478人で、昨年の最終日の同時点より5913人多い。内訳は現役の高校生が昨年より8508人多い42万6931人、高校既卒者らが2595人少ない 9万7547人だった。出願は14日の消印まで有効。


(以下、psycho)


 今から20年ほど前、センター試験を受けました。そのころちょうど今頃、どのくらいの人がセンター試験を受けるのか、びくびくしてました。私が受験していたころは、受験者が50万人に届くかどうかが話題でした。


 そのころの私に言いたいです。何人受けても、あなたのすることは同じでしょう、と。


 センター試験を受けて、20年弱がたったというのに、いまだにそのころの夢をみます。もう、だいたい内容は決まっていて、遅刻するか、マークミスをするか、受験番号を書き忘れるか、です。


 試験はいつもつらく苦しいものでした。しかし、センター試験はかれこれ4回受けたので(psychoは3年浪人してますから)、懐かしいといえば言えなくもないです。


 不思議な試験だったといえば、不思議でした。マークシートというのは、なぜ、関連のない出題であっても一つミスをするとなだれのようにミスの波状効果が起こるのでしょうか。


 私の外来に来てくれるちょうど高校卒業くらいの人たちは、就職したり、進学したり、と、おそらく他の人たちと変わりない進路に悩んでいます。最近特に気になるのが、その人たちの親世代の人たちが、その人たちの進学をストレートに応援できないことです。


 感情論ではないのです。経済面で応援できないのです。それが聴いていて本当につらいです。何とかならないのかなあ・・・。


2008年10月16日木曜日

それって・・・。

向精神薬密輸容疑で逮捕 バッグに1万1千錠


記事:共同通信社 提供:共同通信社【2008年10月15日】

 熊本県警は14日、向精神薬約1万1000錠をバッグに隠してタイから密輸したとして、麻薬取締法違反(営利目的輸入)の疑いで、同県上天草市大矢野町中、無職中田(なかた)ひとみ容疑者(47)ら4人を逮捕した。

 調べでは、中田容疑者は実兄ら3人と共謀して1月10日、ジアゼパムなど3種類の向精神薬をボストンバッグ内の衣類に包むなどして密輸した疑い。通関時に門司税関福岡空港税関支署の職員が発見、押収した。

 県警によると、過去5年に全国の税関が一度に押収した向精神薬としては最多という。中田容疑者の自宅からはほかに向精神薬約3万2000錠や大量の食欲抑制剤、利尿剤などが見つかっており、県警はダイエット用などとして販売していた疑いがあるとみている。

 調べに対し、中田容疑者は「自分で使うためで売るつもりはなかった」と供述しているという。


(以下、psycho)

 それって、依存症になっているというのでは?と最後の一文を読んで思いました。この方が、ジアゼパム依存症で、かつ、摂食障害ならこういう薬を買い求めてくるのは理解できるなあと思いました。

 薬を身近に持っていて、安心したいんだろうなと思いますが。

 余談ですが、自分が使う程度の精神科のお薬をもっていても、この方のように逮捕されません。自分が使うくらいの量って、いろんな種類があるにしても、1日4回飲むと仮定して4×28くらいですよね。それを丸ごと持って歩いているというのも、ちょっと、考えにくいですし。家に置いておく分を差し引くとどんなに多くても、10錠くらいずつだと思われますが。
 仮に1日4回内服することにして、法律で決まっている最大量の90日分処方であったとしても4×90日=360錠くらいですよね。

 だからこの方の持っていたお薬の量がいかに多いか、よくわかります。

 薬が身近だと安心できるんだろうなと思います。繰り返しですが。

 販売目的なら違法です。複数の人がかかわっているので、販売目的だろうなと思えますが・・・。それにしても、どれも依存性の高い薬物です。ジアゼパムは医師が処方することを認められていますが、私は基本的に処方しません。医原性の依存症に自分の外来に来ている人をさせたくないので。

 食欲抑制剤と利尿剤が依存症とどんな関係があるのか、わかりにくいかもしれませんが、これはおそらく摂食障害の人たちが使うのです。
 そして、摂食障害も斎藤学先生がおっしゃっているように、立派な依存症です。

 この人が、自分で使うつもりで購入したのなら、立派にこの人が依存症です。

 もしも販売目的で購入したのなら、日本でそれだけこの薬の需要があるということであり、従来言われているように日本では依存症が少ないというのはまったく現状に即していない意見であるということになるのです。

2008年10月15日水曜日

「なかったこと」の心理

村上春樹と橋本治 (内田樹の研究室)





 内田樹さんのことは、おもしろい人だなあと思っています。私にはうまく言葉にできないことを、言葉にして、まして本にしているからですが。それでいて私の、苦手な学校の先生(大学教授だから)。

 しかし、このブログの何日か前に村上春樹がノーベル文学賞を受賞したとしたらという、予定原稿を渡したというくだりがあって、これはその続きなのです。http://blog.tatsuru.com/2008/10/09_1307.php 

 私の橋本治体験も、内田さんが日本の批評家を嘆いているように、ない・・・。ゼロ。自慢ではないがゼロなのです。

 なかったことにするのには、二つの心理があると思えます。
(1)無視、つまり「おれのほうがすごいから相手にしないよ」という尊大さ、と(2)畏怖です。

 余談だが、私は橋本治を「なかったこと」にしているつもりはないのです。したがって、この(1)も(2)も当てはまらないのです。でも、私は(2)の畏怖というか、すごいものに出会いそうだ、という怖さを橋本治に対してもっていて、だから、近づけないで今に至っているのでした。

 おそらく、内田さんが指摘する日本の批評家は自分では(1)のつもりなのだろうけれども、私から見れば、それはじつは(2)なのです。 
 
 自分のそれまでの蓄積を否定されるような怖さがあって、「なかったこと」にしているのではないでしょうか。内田さんはそれをずばりと指摘していないですが(これが内田さんの優しさといえないでしょうか)、そう言いたいのでは・・・。

 あるものを「なかったこと」にするには、(1)か(2)の態度をとることが多いような気がしてしまいます。そう、その態度は多くは、依存症の人たちがもっているのです。

 彼らも、自らの依存症という病を「なかったこと」にしようとしていますが、結局は、そうはなりえません。(1)のつもりでいても、結局(2)に至ってしまう・・・。

 面白いなあ、と私など彼らを診察していて思ってしまうことがあるのですが、そこが彼らのかわいいところでしょう。かわいい、というと馬鹿にしているように聞こえるでしょうか?では、「素敵」と言いなおしましょう。本当に依存症の人は素敵なのだから。

 それにしても、内田樹さんのブログのトラックバックの方法が分からず、勝手に載せてしまいました。すみません。

 、

 

2008年10月14日火曜日

進化する読書;読書とは何か?




 「読書進化論」 勝間和代著 小学館新書 777円(税別)

 私は幼少時から読書好きだったのですが、最近になって「読書とは何だろうか」と自問することが多くなりました。この本はその問いに答えてくれる一冊になり ました。

 結局のところ、現在の自分にとって読書とは、自分の生活にどれだけ自分が読書から得た知識を反映させられるかだということだと、いうことです。こ の本は、その方向性をp22で後押ししてくれたのでした。

 また、その方法までも、私が言語化できていなかったのですが、書かれています。

 ≪本から得られる知識 の多くは、明日からすぐに役立つようなものばかりでなく、思考の補助になるようなツールであることが大半です。したがって、こういったものには、自分の頭 の中で、タグを作って、「この話は、今すぐ役に立つかどうかわからないけれども、この話に関連ありそうだから、まあこの分類に入れておくか」としまってお くのです≫(p101)。

 この二つの文で、私はずいぶん読書をする精神衛生が得られてホッとしました。

2008年10月13日月曜日

「千と千尋の神隠し」;感想

 ようやく観ました。

 申し訳ないのですが、あまりジブリ映画に共感できないことが多かったのです。あれ、といっても「もののけ姫」だけですが・・・。

 でも、「千と千尋の神隠し」はよかったです。共感できました。

 もっとも共感できたのは、人とのコミュニケーションの大事さを徹頭徹尾伝えている点です。前半で釜爺にお世話になったのに対し、リンが千尋に「あんた、釜爺にお世話になったんだろう。お礼は言ったのかい!?」という場面。

 そして、千尋があらゆる場面で、常にカオナシを自分と同じニーズをもつ「人」として、接している点です。

 これが一番この映画の伝えたいポイントだなと、わかります。特に、カオナシなんて千尋のストーカー化しているんだから、全然相手にしなくてもいいのに、千尋は堂々とカオナシと向き合って、彼にこびない。そして、それでもストーカーになっているのに、カオナシの分まで汽車代を出してあげたりして。

 リンも、千尋が自分と違う世界の人間だとわかっていても、同じニーズをもつ対等さを常に千尋に出し続けている。すごいなあと思います。

 私は、そうだろうか。私自身がそのように誰かにでも接することができるだろうかと、突き付けられながら、説教臭くない。

 楽しめます。また、このブログの8月19日の「ハリーと千尋世代の子供たち」という本も、読むと面白さ倍増ですよ。http://psychopsycho-psycho.blogspot.com/2008/08/blog-post_19.html

2008年10月12日日曜日

人生案内とは

 ハーバード大学医学部留学・独立日記 ... 人生案内:小説家にな�

 私psychoは人生問題を誰かに相談したことはありますが、おそらくは「悪い例」のほうだったのでしょう。参考になった相談の回答も多々あったのでしょうが、なかなか思い出せません。

 翻って、日常の外来でそのように人生問題を相談されることも多々あります。でも、ほとんど参考にしてもらおうというふうに思ってはいません。

 余談ですが、もちろん、いやいやながら精神科・心療内科を受診した初診の方には、どう伝えれば今後の外来受診を継続してもらえるか、ごく短時間(数秒かもしれません)に腐心することはしょっちゅうです。

 人生問題。たとえば、将来のこと、人間関係、恋愛関係などでしょうか。私は、二つに分けられると思っています。(1)自分で何とかできること、(2)自分ではなんともできないこと、です。

 (1)は、まさしく人生問題だと思います。自分が今後、この場面でどうふるまうべきか、どうしていけば自分の納得できる方向をとれるか、と考えているという話は、外来で教えていただいてもなかなか考えるに値する問題であるとは、私も考えています。(1)は、少なくとも自分自身がこうするべきだ、こうふるまうべきだと考えているが、客観的にどうですか?という質問は議論する価値ありと思いますが・・・。
 ただし、自分がどうしたらいいか、を私の判断にゆだねようとする人はあまり私は好きになれません。好みはもちろん仕事なので表現しませんが、あくまでも「私なら」というスタンスで話し、結論は「でも、私とあなたは違う人ですから」で終わります。
 
 (2)は、実は、私に話してみても仕方のないことです。流れに身を任せるしかなく、あらゆる行動が悪あがきになりうるのです。でも、話さずにおられない。そういうときのために私がいるのです。私に話して、流れを少しでも受け入れられるようになれれば、それはそれで意義あると思います。
 ただ、たいていの人は、なんでも自分のコントロールで何とかなると思っています。それが私にとっては不思議でならないのですが・・・。
 
 SA(無名のセックス依存症者たち)というところにhttp://www15.ocn.ne.jp/~ggmts7/serenityplayer.htmというページがあり、それで「平安の祈り」というものがあります。
 結局は、自分に何とかできるものとできないものを見分ける力をつけるしかないのだろうと思います。

 おそらく、冒頭の島岡さんのブログの記事に登場した新聞記事の女性は、自分で自分の人生をどうしたらいいのかさえもわからないのだと思います。その方のことを詳細は存じ上げないので何とも言えませんが、自分が何を求めているのかを知ることは、もしかすると、その方ができることの一つなのかもしれません。

2008年10月11日土曜日

問診数分 すぐ診断書

問診数分 すぐ診断書 : 医療ルネサンス : 医療 : 医療と介護 : YOMI

 診断書というものって、結局はどうやって出すか、そのプロセスが大事なのかなと私は思います。実際、事前の情報がかなりあれば私も、診察数分で診断書を出すこともありますし・・・。

 診断書を出す前に、どのくらいその人を知っているか、ということでしょう。だから、その日の診察はトータルで数分であったとしても、私はその人をよく知っていれば診断書を書きます。

 どういうことが「よく知っている」ということか、というと、次のようなことを私は考えています。

(1)その職場を私自身が見たことがあるか。
 例えば、学校の先生がうつのような症状で受診したとします。そのときに、その学校に行ったことがあり、その学校の他の先生の話を聞いたことがあればベストです。ベストでなかったとしても、同じ学校の先生から勧められての受診であれば話はしやすいですしベター、その地域のその学校の位置づけ(たとえば校内暴力がひどいなど)を知っていれば、可でしょう。

(2)その患者さんの思考・行動様式が予測できるか。
 その人のことをよく知っているとは、究極的にはこのことかと思いますが。ただ、医学的には心理検査をさせてもらったり、なにらかの表現形態をやってもらって(たとえば描画など)その人なりをつかめればいいのだと思っています。
 もちろん、これらを拒否するのもその人のことを知るいい情報です。

(3)仕事を休むことのデメリットを受け入れられるかどうか。
 これは患者さん自身もそうですが、職場もそうでしょう。その人に休まれては、職場も困るわけです。ただ、どの程度なのかはわかりませんから、事情を聞かせてもらいたいわけで・・・。もちろん、患者さん自身の許可が必要です。この許可を得ることで、患者さん自身がどの程度、仕事を休むことに対して内面的にも(罪悪感や、自責感が募らないかどうか)、外面的にも(職場の人からどう思われるかなど)、受け入れられるかもわかるのです。

 でも、この3つのステップを踏むのに大体2週間くらいかかります。しかもその間にはお薬の効き方も確認したいですし。

 そうなると確かに、数分での診察で診断書発行、というのはあり得ないことですね。

 というか、この記事のタイトル自体に私は違和感ありです。「問診」って、私のイメージでは大学病院で研修医の先生がする行為で、診断書を出すという際の診療は「診察」ですから。

2008年10月10日金曜日

未成年と喫煙;矛盾の極み

 一昨日と、昨日、同じ内容で全く違う結論の記事が出ていました。


http://www.m3.com/news/news.jsp?sourceType=GENERAL&categoryId=&articleId=81111
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200810080234.html?ref=rss

 ふうん。この二つの記事を読んで、依存症の気持の奥深さを改めて思いました。

 やめたいけれども、やめられない。物質依存は、そういう心理をもっています。やめたほうがいいとわかっているけれども、この物質(ここではたばこ)を吸うことでいいこと(仲間と楽しい時間を持てる、かっこいい感じを自分に持たせられる、ほっとできるなど)があるわけです。

 だとすると、毎日新聞提供の記事では「やめない」ではなくて、「やめられないと思う」とするべきかと思ったりしますが。

 そして朝日新聞の記事は、「吸わない」ではなくて、「吸いたくない」とするべきかと。

 私の勤務先は、未成年の喫煙に対して抑圧が強いせいか、これを悩んで受診する人は私の外来にはいません。はやくこの抑圧が軽くなって、たばこの依存傾向で悩んでいる未成年の受診が増えれば、と思っています。

 もちろん、吸わなくなってほしいのであって、未成年がもっと喫煙してほしいという意味ではありません。

2008年10月9日木曜日

外来で

  一昨日の外来で、もやもやと気になっていたことがあったのです。

 発達障害の子供が、その日もたくさん受診していたのですが、その子、Aくんだけが暴れていたせいかもしれません。当たり前かもしれませんが、どの子も暴れる可能性はあるのです。ただ、実際にそうなることは、少ないですが。

 いったい何をそんなに?と思って、待合室に行ってみると、やっぱり暴れていました。ゲームを途中でやめることになったのが気に入らないのだと、Aくんのお母さんが言っていました。これも大変に多いお話です。

 そうか、そうだったのか。

 あれ?と思ったのが、お父さんとお母さんに話しかけたら、二人とも私に応じるのです。子供が暴れて、外へ行こうとしているのに。私は、どちらかがAくんのそばでみてあげる必要がある、と告げたのですがあまりピンと来ていない、というお二方の表情でした。

 いやな言い方でしょうが、このお父さんとお母さんはAくんをみつめていないんだなあと直感してしまったのです。病院で暴れる子供だからなのか、どうなのか、それまでの事情もわかりません。何と言っても、まだ数回しかお会いしてないので。

 Aくんは、話は通じる子でした。自分の意のままに私がならないと知ると、ふてくされたり、椅子を蹴飛ばしたりとしていましたが、私がそういう人なのだ、とわかれば、その私にあわせる人でした。と同時に私は、ああ、Aくんはお父さんと、お母さんにあわせているんだなと思いました。

 子どものこと、みてほしいと私はどのお父さんとお母さんにも言います。具体的には、
①子どもの日常生活をみて、私に教えてもらう。
 まあ、年齢によって違いますが。中学生なら、あまり全部は知らなくていいと思います。もっというと、小学生だろうと幼児だろうと全部は知らなくていいのですが、知りうる範囲で、ということです。
②子どもに、どうなってほしいと親として思っているのか、教えてもらう。
③子どもの好きなこと、嫌いなこと、を教えてもらう。
この三点です。

 ①はそのとおりです。③も、誰かのことを知るって、こういうことですよね。

 ②は、実はお父さんお母さんが自分自身のことをみつめることです。でも、これがないと、私はサポートしきれないのです。もやもやした葛藤でいいのです。むしろそれをみつめて、このあとどんなふうに家族がかかわりあうのかを考えてほしいのです。そしてそれを第三者の私に話してもらうことで、よりこのあとどうしていくのかがわかることがあると思います。

 おそらく、否定されるのがつらくて見つめられないんだろうと思います。親御さんが自分自身のことも、子どもたちのことも。今まで、発達障害=親の子育ての失敗という見方で言われて。もちろん、発達障害=親の子育ての失敗なんて、ありえないですが、なぜかそう思っている人が多いのです。発達障害の成因はいまだ不明です。

 Aくんの家もそうでした。私はお父さんとお母さんに、①から③のことをしてもらうこととして、次の外来に来てもらうこととしました。

 このこと、書くまでもないと思っていたのですが、やっぱり私も書かないと自分が整理できなかったのです。
 

 

2008年10月8日水曜日

再び、「箱」の本

 「二日で人生が変わる「箱」の法則」 アービンジャー・インスティチュート著 門田美鈴訳 祥伝社 1600円(税別)

 前著「自分の小さな「箱」から脱出する方法」の、続編ですが、時系列から言うと前著以前のものです。

 ザグラム社の創業者ルー・ハーバードがいかにして 「箱」について学び、それを人間関係に応用したかという本です。
 
 どのページのもすべてにしるしをつけたい衝動に駆られましたが、私がもっとも気に入ったの は、自分のあり方を書いた53ページの図の中の一文でした。「心が平和 他人も人である:希望、要求、心配、不安が自分自身のものと同じよ うに現実的」というものです。これができていれば、私たちは誰も「箱」に入る必要はないのです。「箱」は様々な形で私たちの生活に作られようとしていま す。それに対して私たちはどうしていくか。この基本が前記の言葉にあると思えて、この本全体が「箱」の外にあるのだと実感しました。

2008年10月7日火曜日

わがまま?

 昨日は、隣の町でのケース検討会でした。いつも楽しめる検討会なので、うれしいのです。

 ただ、ちょっとびっくりしたことがありました。

 基本的に私は学校関係や保健師さん関係、そして、行政関係の人とは連絡を取りたいのです。できればメールがありがたいです。

 でも、私がわがままなのだろうと思うのですが、私が自分で自分のメールアドレスをその関係者にお伝えするのは私にとってはOKなのですが、私を介さないで勝手に広がっていくのはええーっ!いやだー!と思えるのです。

 書いていて思いました。

 いやだと思っていい、と。わがままなんかじゃない!と。

 だって、本の貸し借りと同じですよね。又貸しって、なんか感じ悪い・・・。

 だから昨日、その関係各位に私のメールアドレスを誰かに言うときは私に事前に断ってくださいと伝えたのも、悪いわけじゃない、そう言い聞かせました。

2008年10月6日月曜日

べてるの家;ビデオ上映会で。


 昨日、ビデオ上映会がすくーるばくで行われました。参加者は、私psycho、夫、そしてWさんの3人でした。

 べてるの家って、なに?と思われたかもしれません。HPがあります。次のアドレスなのでアクセスしてみてください。http://www18.ocn.ne.jp/~bethel/betheltoha1-1.html

 精神科のことは関係ない、と思っていても、商品はけっこう魅力的かなと思います。

 psychoはなぜここのことを知っているかというと、以前の勤め先がここの浦河赤十字病院だったからです。楽しいことばかりではありませんでしたが、苦しいことばかりでもない、新前の精神科医を磨いてくれた場所でした。

 そういうわけで、こうして夫の仕事場をつかって月に一回、このべてるの家のビデオシリーズを観ているのです。
 
 
 というわけで、前置きが長くなりました。ここからがビデオ上映会のことです。

 昨日観たビデオは、「精神分裂病を生きる;妄想編 その2 ヒーローたちの戦い」でした。現在精神分裂病は、統合失調症と診断名自体が変更されていますが、このビデオは変更前に作成されたので、そのままのタイトルになっています。

 詳細は、みてください、ですが、psychoにとって、教科書に書いていることはここまで生き生きとした実感をそいでいるんだと思いました。

 世界変容感、世界没落感、被害妄想、・・・。これらの4文字熟語から誰が、このビデオのような楽しい世界を創造できるものだろうか、と思えるのです。

 私にとって、ぎゃはは、と笑い、そこまで言うんだあと思えたのは、べてるメンバーの山本さんの言葉です。
 「リカちゃん(=べてるメンバー。女性)の妄想って、すっごいリアリティがあるんだけど、男の人たちのって、悪の根源とか、宗教団体のボスとか、悪魔とか、って言って全然そういうの、ないね。幼いって言うか、幼稚っていうか、全然リアリティない」。

2008年10月5日日曜日

私の精神科医としての「なにか」

 9月22日のこのブログ記事に関連して・・・。http://psychopsycho-psycho.blogspot.com/2008/09/blog-post_22.html

 この本は、読み終えてしまいました。感想、なんでしょうか、以下に書くことは感想かどうかわかりませんが、この本を読み終えたときに私の頭に降ってきたことです。

 自分自身で、自分に対して、私はいったいなぜ精神科が楽しいと思えるのか、とずっと不思議でした。かつては、精神科以外の医局にいたこともありますが、楽しいと思えなかったのです。いったいなぜだったのか、私には今までその説明がなかったのです。だから、ずっとそれを考え続けていました。

 別にずっと考えなくてもいいんじゃないか、と自分に思っていたのですが、なぜだか考え続けていたのです。
 ずっと。10年以上そうでした。

 この本を読み終えて、いきなり、自分が精神科の診療を楽しい、と思えるのは、「人」に会っているからだ、という考えが降ってきたのです。たしかにそうです。私は、外来に来てくれた人達の、これまでのいきさつを聞き、「そんなことがあるんだあ」と驚いたり、よくなりつつある姿を見せてもらってうれしがったり、症状がまた悪くなった時に季節や地球のせいにしたり(環境問題などですが)、話を聞けるのが楽しいのです。

 「医者」と「患者さん」という役割でしかないかもしれませんが、そういう役割の枠があるからこそ、枠外の何かが見えるとほっとしたり、枠の中でさまざまなことが起こって私の中で様々な感情が呼び覚まされて、自分以外の人とのかかわりが増え、その結果、「楽しい」という感じになるのだろうと思います。

 対して、精神科以外の診療科にいたとき、私は外来で、今思うと本当に失礼ですが、「物」に会っていたのです。その当時の患者さんの名前はもちろん、背景も、どんな人だったかさえ、思い出せないのですから、「物」扱いと言ってもいいでしょう。

 私が「箱」に入っているかどうかは、わかりません。おそらく、「箱」に入っていることは私の外来での時間の中でも多いかもしれないのですが、今の精神科の外来では、「箱」の外にいる時間もあるのかもしれません。

 本の感想かどうか、わかりませんが・・・。


 

2008年10月4日土曜日

性的虐待の被害の連鎖

 性的虐待を受けて、私の外来に来ることになった人が何人かいます。

 性的虐待も、虐待なので虐待の影響がその被害に遭った人たちにも登場します。おもに、愛着行動の障害といわれます。

 愛着行動、って難しい表現ですが、要するに、子どもが不安になったときに、養育者に対して特異的な反応をすることです。ずっと一緒にいたがったり、離れると泣いたり、スキンシップを求めたりというものだと思ってくれていいと思います。

 この愛着が障害されると、愛着障害になります。そして、それには(1)抑制型、(2)脱抑制型とあります。この両方を説明するのはまたいずれということにします。ただ、(1)は他人に無関心を示すタイプ、(2)は他者に対して無差別的に薄い愛着を示す、と覚えていてください。

 性的虐待の被害者は、しばしば何度も別の人から性的な被害を受けます。これは、私が考えるに(2)の状態によって、起こるのではないかと思えるのです。

 一時的であれ、(2)の状況の人たちは部分的な愛着関係を築きました。だからこその、ことだと思うのですが・・・。

 性的虐待の被害を受けている人は、私の外来でも、別の人から繰り返し性的に虐待されるのです。
 
 これを何とかしたいといつも思っているのです。そして、臨床心理士さんや地域の保健師さんと、いろいろと行動しているのですが、これからどうなるのかなあと思っています。


 参考文献;杉山登志郎著「子ども虐待という第四の発達障害」(学研)
 

2008年10月3日金曜日

スマートな論理展開

こういうタイトルの記事をみつけました。 http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/opinion/mric/200809/507864.html

2008. 9. 18

私は医者という仕事をまっとうしたいので患者の立場には立ちません

小鷹昌明(獨協医科大学神経内科)


(以下、psycho)

 会員制のメールマガジンなので、読める方が多いかどうかわからないのですが・・・。

 挑戦的といえば、言えるかもしれないと思いました。うらやましいといえば、うらやましい。こんなふうに、論理展開できる頭の良さがうらやましいのです。


 私には、きっと無理です。そして、患者さんがその方自身の感情を投げかけたら、それが自分にとってつらいものだったら、それにおろおろするより私には道がなく、それしかできないなあと伝えるよりほかないです。

 

 人によって、こんなふうにスマートに乗り越えられるのでしょうが、私には無理です。でも、これでかれこれ10年やってきたので、これからもそうするのだろうと思います。

 

 

2008年10月2日木曜日

息子と外出

 昨日は、息子と外出しました。といっても、予防接種ですが・・・。彼には、おたふくからみずぼうそう(つまり任意接種のもの)、三種混合やらMRワクチンまで、ひと通りやってもらいました。

 それぞれの家庭の方針だと思うので、予防接種はそれぞれで決めていいと私は思うのですが、医者として、知識があるせいか息子が何らかの感染症で後遺症が残るとと思っただけでつらいので、ひと通りやってもらった次第です。

 その後、「がんばったね」ということで、ジュースを飲みました。息子は牛乳、私はお茶。彼は、ひたすら私のお茶も飲みます。私が「ね、牛乳もちょうだいよ」というと、ふん、と顔をそむける…。そんな意地悪しなくても・・・。

 その帰り、時間があったので市内の「秋田ふるさと村」というところへいきました。息子は初めての場所に弱いのですが、その時もまさしくそうでした。

 ただ、入口にあったふるさと村のマスコットの秋田犬を見たところ、夢中・・・。顔にチューしたい!とだっこをせがみ、手やおなかをなでまわし、うっとり・・・。

 そうか、そういうのが好きだったのを思い出しました・・・。

 また、隣のテレビでサンリオの宣伝をしていたのも、飽きもせず見つめていました。

 締めには、ふるさと村内をはしる汽車に一緒に乗りました。初めてのせいか、これも苦手というか、あまり喜んでいないのですが、なれれば喜べるだろうと思いました。

 こんなふうに一緒に外出して、私を楽しませてくれるだけでいいのです。いずれ息子も楽しんでくれればそれがいいのですが、いつなのやら・・・。

2008年10月1日水曜日

銚子市の市立総合病院390床、財政難で休止

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 千葉県銚子市の市立総合病院(393床)が財政難のため、30日を最後に休止する。これだけの規模の自治体病院が行き詰まったケースはあまり例がない。市は医師不足を招いた国の施策を非難するが、市の経営姿勢こそ問題との指摘も出ている。

再建の見通しが立たない中、転院を強いられた患者から不満の声が噴出している。(社会部 小林直貴、千葉支局 木村勇、赤津良太)

(以下、psycho)

 ちょうど似たような規模の病院に、psychoは勤めています。自分の病院が心配になりました・・・。これが記事を読んで気がついたふたつのうち、第一の点です。

 この記事の千葉県銚子市の病院が、全科揃った総合病院であったかどうかはっきりしないと思うのですが、私の勤めている病院はいわゆる“ミニ”総合病院で、耳鼻科や皮膚科などないのです。消化器科だけが突出している病院なのですが、私が経営者ならこれだけでいいのかと疑問を持ってしまいます。

 ここも行政による病院なので、そのあたりの問題を感じる点は、私とは違っているのだろうと思いますが・・・。


 第二の点は、精神科の外来の人たちが1000人いるのに、病院がなくなってしまう状況は、「またか」という感じです。似た状況はいくつかあります。

 島根県隠岐病院精神科常勤医不在http://sankei.jp.msn.com/life/body/080410/bdy0804102009005-n1.htm

 秋田県由利組合総合病院精神科病床休止へhttp://iseki77.blog65.fc2.com/blog-entry-5071.html

まとめてしまうと、この記事になるのかもしれません。http://www.asahi.com/health/news/TKY200805290156.html

 精神科医が悪いわけではないと思うのですが、産婦人科医不足、小児科医不足に続いて精神科医も配置バランスが悪かったり、不足してしまったりということがあるのだろうと思っています。


 私は冒頭の記事のように、病院がなくなってしまうのは、医者の待遇改善を考えていないからではないと思います。

 医者の、というよりも、全職員に対して経営側がどう思っているか、ということじゃないでしょうか。

 psychoの勤務している病院で信じられないようなことを聞いてしまいました。今月10月で部署が変わる看護スタッフの人がいるのですが、来月どこに行くのか、外来なのか病棟なのかさえもわからないというのです。

 これは人間扱いではない、と私は思いました。来月の家族での予定も立たなければ、子どもの行事に誰が行くのかという予定も立てられず、介護をしていれば(というか、ほとんどの人がしている)その被介護者を病院に連れ行けるのかという予定も立てられない・・・。信じられない非人間的扱いです。


 これを聞いたとき、私は自分の勤めている病院にこのまま居続けていいのか、と自問してしまいました。

 この点だ、と私は思いました。


 そして、もっというと、先日読んだ「自分の中の小さな「箱」から脱出する方法」という本を思い出しました。