2010年9月9日木曜日

依存症治療とは何か?2

前回は、①患者さんになる人がまず生まれる。つまり、誰かが体調不良なり、精神不安なり、どこかいつもと違っているという状態をもって、治療者の前に現れる(受診)という段階が、「難しい」と書いて終わった。

①があって当たり前と思っていると、依存症治療は成り立たない。なぜなら、「否認」という大きな壁があるからなのだ。

少し話題がそれるのだが、疾患にはそれぞれイメージというか、「この病気にかかってしまったら、こうなる」というような予想図というものがある、と私は思っている。

わかり易い例は、白血病=薄幸の美少女というようなものだ。ただし、いまや白血病の中にはかなり予後の良いもの、つまり回復するものも多くて、この予想図は必ずしも当たらない。

卑近な例かもしれないが、性病は恥ずかしいとか、産婦人科は顔を知っている医者だと嫌だとか、泌尿器科は絶対に行きたくないとか、前立腺肥大症というのが恥ずかしいとか、そういうものがあるのだ。予想図として、これらの診療科は性と関連しているので、日本人の場合「性的に活発=恥ずかしい」という内容が構築されるのだろう。

さて、依存症治療だ。わかりやすくアルコール依存症をとりあげる。

アルコール依存症。一昔前の単語で言うと「アル中」だ。これが相当にひどい予想図をもっている。例えば、ホームレスで、仕事がなく(ホームレスで仕事のある人もいるのでわざと分けてみた)、いつも酒ばかり飲んでいる。例えばのその2としては、のんだくれのオヤジで奥さんに暴力を奮ってばかりいる。

依存症治療を10年以上やっている医者としては、これらはハズレてはいない、と言っておきたい。

大学4年生の時に、東京都監察医務院に見学した。そこで行政解剖を見学したが、その時にはホームレスの人も多く、アルコール依存症に見られる肝硬変や脂肪肝を患っている人はずいぶん多かった。例えばのその2のような、DVもよくみられる。

問題なのは、アルコール依存症について、これら以外の予想図が少なくとも日本にはないのだ。

そうなると、あきらかにアルコール依存症の診断基準に当てはまっていて治療を開始する必要がある人であっても、「自分は、例えばでもないし、例えばのその2でもない!」と言いはって、精神科受診を拒否する。

そう、アルコール依存症=生活破綻者という予想図があるのだ。そして、そのように診断されたくない、という心理構造、これが前述の「否認」というものだ。

放置しておけば、明らかに前述の「例えば」のようになってしまう。だから、そうならないように受診しましょう、というのが、精神科医である私の主張だ。

しかしこれがなかなか受け入れられない。そして、アルコール依存症の人たちは、どんどんその依存物質であるアルコールへの依存を深めていく。

これが「①の段階が難しい」という真意だ。

だから、なかなか精神科受診に結びつかず、その結果どんどん状況が悪くなっていく。

そしてこの予想図、かなりまずい。なぜなら、アルコール依存症=おじさんの病気となってしまっているのだ。

実際には、女性にもかなりの頻度で起こっている。例えば摂食障害の人たちの中には、アルコール依存症も合併している人がかなり多いように思う。私の外来に受診したアルコール依存症人たちの殆どは女性だった。

彼女たちは、「おじさんの病気」にかかってしまったことを恥じていて、精神科に受診しない。親も受診に反対する。「酒の飲み過ぎだ」と本人の意志の問題にされてしまう。こうしているうちにどんどんアルコール依存症は悪化して、離脱症状=禁断症状にいたる。二日酔いに代表されるこの症状、二日酔い程度ならまだ隠せるだろう。でも、進行して幻覚妄想状態や、振戦せん妄というけいれんを起こしたら、救急車で病院にいくしかない。生死をさまようことも多い。仮に生還しても自殺の可能性も高いのだ。

①という最初の段階で、ここまで他の疾患と違っているのだ。依存症って、だからすごいのだ。

0 件のコメント: