2010年9月13日月曜日

依存症治療とは何か?その3

前回の最後に「依存症って、だからすごいのだ。」と書いたが、いったい何がすごいのか、全然わからない気が自分自身でさえ、してしまった。

形容詞って、言いたいことをつたえきれない。そう思ってしまう。

言いたかったのは、依存症治療が他の医療と同じだと思ってしまうと、つらい、ということだ。また形容詞だ。形容詞が私の文章のほとんどのような気持ちがしてしまう。

医者になって、精神科以外なら、医者は医者として相手である患者さんという立場の人から、役割を与えられる。しかし、精神科ではそうならないことがあるのだ。いや、「ある」のではなくて、「ほとんど」「多い」というべきだろう。

医者として役割を患者さんから与えられないとはどういう事か。

医療を必要としているようにしか見えない相手が、「患者さん」という役割を取ることを拒否するという事態だ。そうなれば、「私は患者じゃないので、医者は必要ではありません」といわれてしまい、こちらはすごすごと引き返すよりほか術がなくなってしまう。

依存症の人たちは、ほぼ全員そういう。逆にそうではない人は、ほんとうに凄いのだ。

あ、また形容詞。具体的に書かなくては伝わりっこないのに、ついつい使ってしまう。

依存症の人たちには「自分が医療を必要としているまでに依存対象があることを認めない」という心性がある。これが「否認」という。

この「否認」の壁は強固で、いったんは「自分は依存症で、どうにもならない」と感じ入ったとしても、しばらくして「どうにかなって」しまうと、「自分は治療が必要なほど重症ではない」と思ってしまったり、「依存症じゃなかったのかもしれない」と思ったりする。

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