2009年8月6日木曜日

書評「安楽病棟」箒木蓬生著


書評「安楽病棟」箒木蓬生著(新潮文庫) 819円(税別)

個別性と同一性。このふたつがバランスを保たなくてはならないのに、とこの本を読んでの一番最初に出てきた一言でした。

非 常に面白い本です。最初から8章ほどまでには、病棟に登場する認知症の人たちの個別のエピソードがつづられています。どれもが、その人という存在をここま でかというほど特徴づけており、まったく同じエピソードはないのです。それは、周囲の人とのかかわり方や、周囲の人からのその人への思いがあります。

こ れが個別性というものだと思います。例は、この本に登場するケーキ屋さん菊本さんだと思います。菊本さんはケーキ職人であり、この人のエピソードは、息子 のお嫁さんの立場から描かれています。この描きだす立場の人の選択も、絶妙です。本人からだけではなくて、周囲の人からの思いをあぶりだすのです。

一 方で、看護師の立場では、認知症の人たちは同じような症状を持つように描かれています。いえ、同じような困りごと、というべきでしょう。たとえば、途中で 看護師の城野さんの排尿指導についての看護研究発表の内容がありますが、これなど上述した個別性ではなくて、疾患としての同一性を描いています。このとき に、菊本さんで描かれたような個別性は問題にされません。

これが疾患としての同一性です。これがなければ、治療は進みませんし、認知症のように治療法が確立していない疾患であれば、看護や介護は同一性に目が向かなければ、とてもやれません。

医師の香月はこれを間違えてしまったのではないでしょうか。

疾 患としての同一性だけを考えるのだとすれば認知症の人は、周囲を苦しめ、自分さえも苦しんでいる疾患で、排除すべきなのかもしれないのです。しかし、この 本の中で、城野さんや看護主任がなんども実感しているように、認知症の人たちが周囲の人に与えるなにかーケアしてあげたという単純な安堵感かもしれません し、生きているだけでよいという存在そのものの是認かもしれませんし、あるいはほかのなにかーがあるのです。

認知症病棟の担当医師になっていて、香月がこれに気付くことはなかったのでしょうか。

気付けなかったのだと、私は思います。香月という人は「良い医者」であろうとしたのでしょうが、あくまでも「あろうとした」だけなのでしょう。いえ、「良い医者」として、治療をやろうとすればするほど、認知症を受け入れられなくなったのでしょう。

人として、この人たちが自分の未来を包含していると、だからこそ、この人たちとともに生きる時間が必要なのだと、そのように受容できなかったのかもしれません。

香月本人だけの問題ではなくて、医者全体の問題です。それを突き付けられたのでした。

0 件のコメント: