2008年11月13日木曜日

家族とは



クロスする感性〔第13話〕 ソウル・ファミリー,魂の家族

宮地尚子=文
 一橋大学大学院教授・精神科医ケンブリッジ・ヘルス・アライアンス客員研究員


1年間の滞米生活が終わり,日本に帰ってきて1か月。あっという間に日常に埋もれてしまっている。  
 帰国当初は,駅の改札の人の流れにうまく乗れず,恐怖を覚えたり,エスカレーターの真ん中で立ち止まって,後ろからつつかれたりした。また,白々と夜が明けるのを眺めながら,時差ぼけの冴えた頭で,どれだけ技術革新が起きても時差と季節の逆転だけは残り続けるなあと,地球規模で(?)ものごとを考えたりしていた。  けれども時差が治るにつれ,大学院の入試やら,冬学期の講義準備やら,依頼原稿の執筆やら,次々と仕事が迫ってきて,のほほんとしていられなくなった。
 米国から持って帰った数十冊の本は,なんとか古い本を移動させて書棚に納めたが,資料は一つの大きな袋に入ったまま,必要なものだけそのつど取り出している状態だ。  
 とにかく,今済ませなければいけないことから済ませるしかない。そのためには,米国で考えていたことや,日本に帰ったらしようと思っていたこと,調べようと思っていたことなどは,とりあえず棚上げにするしかない。落ち着いたら手をつけるつもりだが,たぶんずっとこんな調子で仕事がふりかかってきて,落ち着くなんてなさそうだな,意識的に時間を作るしかないな,と思う。 滞米生活を振り返る もちろん,米国で学んできたことや考えてきたことは,必ずしもまったく新しい形で仕事になっていくのではなく,同じように見える仕事の内容に深みを与えたり,新鮮な見方が加わるという形で役立つには違いない。また自分がいた場所を離れて,外から見直す機会を得られたことには大きな価値があったと思う。これまで自分がしてきたことを相対化し,これからの方向性を,その場の限られた視野からではなく俯瞰的に,長い目で考えることができるようになった。  
 久しぶりに会った人たちから「アメリカはどうだった?」「目的は達成された?」「研究は成果が上がった?」「有意義な1年だった?」「充実した毎日だった?」と口々に聞かれる。やっぱり有意義で充実してなきゃいけないんだなあ,のんびり,スカスカじゃだめなんだなあ,そういうのは「無駄」とみなされるんだなあ,とひそかに反発を感じながら,でもまあ素直に質問を受け取ることにする。  あらためて振り返ると,けっこう忙しく,充実していたとも言える。ボストンで私の受け入れ責任者となってくれたトラウマ臨床の第一人者,ジュディス・ハーマン史とは毎月濃密なディスカッションができたし,研究会に参加して専門領域全般の知識をアップデイトすることもできた。自分の研究についても洞察が進み,さらなる問いが生まれた。ニューヨークとカナダでは学会発表をしたし,ペルーにも行った。
 そしてこの1年で新著を(3冊も!)出した。「偉いぞ,自分!」と褒めてやってもいい気がする。  
 うーん,でももう少しじっくり考えてみる。この一年間でいちばん大きな収穫って何だろう。後々まで残るものって何だろうと。そうすると,今リストアップしたようなことは表面的なものに思えてくる。
 そして,一つだけ選ぶならあれだな,マイクとトムとの交流だな,と思う。 二つの大きなダイヤモンド 
 今回,ハーバード大学が私の受け入れ機関だったのだが,家族の都合もあり,私はニューヨークの郊外に生活の拠点を置いていた。そして,月に2度ほどボストンに行っては数日間過ごし,研究会に参加したり,研究に関連する人に会ったりしていた。  
 ボストンではマイクとトムの家に居候していた。彼らは,私にとってはソウル・ファミリー=魂の家族のようなものだ。  彼らは二人ともカウンセラーで,性的虐待を受けた男性のセラピーを専門にしているので,私の研究テーマとぴったり合う。
 彼らと知り合ったきっかけも,2001年にニューヨークで行われた,男性の性被害についての学会だった。マイクは元・人類学者で,若いころはマーガレット・ミードの弟子だったという変わり種である。トムは大学でソーシャルワークを教えている。二人は私より10-20歳近く年上で,ゲイ(同性愛者)で,10数年来のカップルである。マサチューセッツ州では同性間の結婚が認められており,彼らも結婚している。  
 彼らと一緒に過ごしていると,自然とゲイの友だちが増える。彼らの住むジャマイカ・プレインという地域は性的マイノリティに寛容で,ゲイの多いおしゃれな街として知られている。隣の家にはマーサとキムというレズビアンのカップルが住んでいる。マーサは精神科医,キムはソーシャルワーカーで,私がいる間に,タイラーという男の赤ちゃんを養子にした。以前から養子斡旋機関に登録していたのだが,ある日突然電話がかかってきて,赤ちゃんが生まれたけど,お母さんが育てられないからどうかと言われ,急きょテキサスかどっかに迎えに行くことになったという。それ以来,やれ,首が据わった,ハイハイしだした,熱を出した,と大騒ぎをしながら二人で仲良く育てている。マイクやトムも,おじさん気取りでタイラーくんをかわいがっている。  
 同性愛者たちをめぐる日本の状況といかにかけ離れているかをつい忘れて,ボストンの話をすると,みんなに驚かれる。けれども,ボストンでは彼らの生活があまりに自然で,無理がなくて,同性愛という「特殊性」はほとんど意識に上らない。そして,家族を作っていくことの意義もごく当たり前のように受け入れられる。  
 同性愛者どうし一緒に住みたければ勝手に住めばいいのに,なぜわざわざ結婚という制度が必要なのか,という議論もある。でもマーサとキムのように一緒に子どもを育てたいと思えば,ある程度の制度は必要になるだろう。またトムは2年ほど前に大動脈弁閉鎖不全がみつかり,大手術を受けた。もしその数年前にマサチューセッツ州が同性間の結婚を認めず,彼らが結婚の手続きをしていなかったら,マイクはただの友人としかみなされず,トムの病気や手術について病院から何の情報も与えられず,術後に付き添うことも許されなかったに違いない。  
 言うまでもなく,私は彼らがゲイだから居候させてもらっていたわけではない。二人ともとても気が合うから,そして彼らもそう思ってくれるから一緒にいただけである。とはいっても女性にとって,異性でありながら,自分に性的な眼差しを向けてこないゲイの男性は,貴重な存在でもある。ずっと以前に観た外国映画に,「ゲイの友人を持つのはダイヤモンドを持つようなものよ」というせりふがあった。とすると,私は大きなダイヤモンドを二つも持っていることになる。 成長過程とファミリーの再構成 ジャマイカ・プレインは自然が多く,マイクやトムと池のまわりや森林公園を散歩しながら,よくとりとめもなく話をした。カウンセラーなのだから当たり前ではあるが,二人とも話を聞くのがうまい。私が英語で表現できない複雑なことも,適切な問いで明らかにしてくれる。そして甘やかしはしないが,とても褒めてくれる。私が日本での臨床再開について相談したときも,「君に診てもらえる患者さんはラッキーだと思うよ」という励まし方をしてくれて,びっくりした。  
 人は皆,親や家族を選べない。産み落とされた人間関係の中で成長するしかない。けれども20代,30代以降の人間の成長とは,自分なりの感性を磨き,波長の合う人たちとつながり,ソウル・メイトやソウル・ブラザー,ソウル・シスターとして関係を育みあい,血縁も国籍も性的指向も抜きにしたソウル・ファミリーを作っていくことなのかもしれないと思う。  マイクとトムだけでなく,私のソウル・ファミリーは世界に広がっている。そのことの有り難さを思うと,呆然とさえする。タイラーくんの場合は,産み落とされたときからソウル・ファミリーの中にいるのかもしれない。そして血縁でつながった家族も,成長の中であらためてソウル・ファミリーの一員として,選び直されていくのかもしれない。

宮地尚子 1986年京府医大卒。医療人類学と出会い,89年から3年間,米国に留学する。帰国後,医学部の教員を経て,2001年より現職。07年秋より1年間,フルブライト上級研究員として再び渡米し,暴力被害者のトラウマ治療で名高いケンブリッジ・ヘルス・アライアンスに所属(客員研究員)。近著に『環状島=トラウマの地政学』(みすず書房),『医療現場におけるDV被害者への対応ハンドブック』(明石書店,編著),『性的支配と歴史――植民地主義から民族浄化まで』(大月書店,編著)。


(以下、psycho)


 この記事を読んで、宇仁田ゆみ著「うさぎdrop」を思い出しました(冒頭のイメージ)。
 
 この本自体は、かなり面白い。祖父の隠し子を、孫が育てるという、何がなんだか分からないようなものだけど、それは絵にすると違ってくるのです。
 
 この記事では、同性愛のカップルが養子をかわいがっているくだりがあって、子どもをかわいがるという、それが共通点です。そもそも日本では養子をということも特殊と言えば特殊ですが。
 家族とは、もともともてるけれども、あえてもとうとすることも出来ると思います。
 家族をあえてもとうとすること。それを、日本はもっとプラスに評価していいのではないでしょうか?



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