2008年7月4日金曜日

高校生の頃からの疑問

 私は、精神鑑定は難しいので、したくないという気持ちでいるのです。それと同じことを書いている記事ではないでしょうか。


 
≪判断分かれる精神鑑定 難しい法的な評価≫

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2008年6月30日】

 茨城県土浦市の3人殺害事件で27日、無罪を言い渡した水戸地裁土浦支部の判決は公判中に行われた精神鑑定を重視、心神喪失で刑事責任能力はないと判断した。だが精神鑑定の扱いをめぐっては最近、裁判所によって判断が分かれている。

 最高裁は4月の傷害致死事件の判決で「合理的な理由がない限り(専門家による精神鑑定結果を)十分尊重すべきだ」とする初判断を提示した。

 東京都渋谷区の短大生殺害、切断事件で兄の元歯学予備校生に対し、東京地裁は5月「死体損壊時は多重人格状態で、心神喪失状態だった」と結論づけた精神鑑定を認定。「殺人を有罪、死体損壊は無罪」とし、鑑定重視の姿勢を示した。

 一方、渋谷区の夫殺害、切断事件で東京地裁は4月、「心神喪失」とした鑑定に縛られず、犯行前後の行動などから「完全責任能力があった」と認定した。

 精神鑑定の扱いについては「精神医学を法的に評価する司法精神医学がまだ確立されてない」(ベテラン裁判官)との意見があり、大きな課題があるのが実情。

 来年5月から始まる裁判員制度では、一般市民が責任能力の有無を判断することになる。鑑定はその指針になる重要な判断基準であり、分かりやすい鑑定が今後ますます求められている。



(以下、psycho)

 精神鑑定を依頼されたことは、私にはないのですが、先輩(大学医局時代の)によれば、難しいそうです。

 「難しい」というのは、形容詞なので、どうしてもお互いが納得できる部分が難しいのですが、精神科的な考え方を、検察や司法関係者に伝えるのが難しいという意味のようです。

 私は、違う意味で難しいと思います。
 精神科的な考え方よりも、加害者がその事件の際に正常な精神状態であったかどうかを、事件後に追跡するのは難しいだろうと思うのです。というか、私はべつに「難しい」ことを考えているわけではないと思います。

 そんな難しいことをするよりも、悪いことをしたら罰を受けるというストレートな原則がいいのではないかと考える単純な私なので、精神鑑定の意味がよくわからないです。

 20数年前の本多勝一著「殺される側の論理」の最初の章で書かれていたのが、脳性マヒの子供への殺人を犯した親の話でした。この人は、心神喪失という名の下で罪状軽減につながったのです。それはでも、おかしいと当時高校生の私は思いました。

 事件当時、精神的に不調なら無罪?でも、やったことは精神的に不調かどうかには無関係でしょう?それをずっと考えていました。

 そして、日垣隆著「そして殺人者は野に放たれる」(新潮文庫)も読みました。これはつい最近ですが。

 高校生の頃の疑問と結論は、結局当時と同じ所へ行きついてしまいました。そして、それでようやく私は納得できたのでした。











0 件のコメント: