2008年7月25日金曜日

手助けされることが、いや。

 教育の現在、私の外来での一番の困り事でもありますが、
「自分でできることは、自分でしょう」
という方針があります。

 学校では、自立を教えるおつもりなのでしょう。

 けれども、これで私は困っているのです。というのも、私の外来にやってきても、親たちに連れられてきて(=親もその子供が困っているとわかっている)も、私から見てもその子が困っているとすぐわかっても、本人は、その困っているという状態を認めつつ、サポートを拒否するのです。

 もちろん、私の話の持っていき方がよくない、私と相性が良くない、など、私の側の要因はいくらでもあると思います。

 でも、それでも大部分の子供たちは大なり小なり「手助けされることは、いけないこと」と思っているようなのです。

 不登校であれ、精神疾患であれ、それは同じです。

 困っているのだから、何らかのサポートを求めればいいのに。

 顕著に表れるのは、発達障害の子供たちに特別支援を要請する時です。発達障害と診断し、診断書類を作成して教育委員会に提出し(学校や親御さんにやってもらいますが)、特別支援の学校人員配置を審査してもらい、その子供が通常学級にいて、その子のためにサポートの先生がやってくる、というわけです。

 わからないことはその人に聞けるし、何かと便利だろうと私は思うのですが、子どもたちはそうは思わないようです。

 「サポートの先生なんて、いや。助けてもらうなんて、恥ずかしい」。

 そういう思いがあるようです。

 できないことを認めたがらないということだと思うのですが、それは、学校や周囲の大人が「できないこと」=だめなことという考えがあり、「できないこと」を認めるのは恥ずかしいということになるようです。

 そうなると、特別支援のサポートの先生がつくのも、いや、恥ずかしい、そういうことになるようです。

 学校で、周囲で、できないことは恥ずかしい、手助けされるのは恥ずかしい、そういう考えを培っているのでしょう。

 少なくとも、できないときもあって、人に助けを求めるのは手段の一つである、というくらいになってほしいのですが・・・。

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