2008年7月29日火曜日

「文字は学問するための道具」

トラックバックというのを初めてしました。以下が、そのアドレスです。
http://blogs.yahoo.co.jp/hanaotoiida/
(7月23日版)


このブログは、私の知人のブログなのです。
私にとって、このタイトルが、ちょっと目を覚まさせられた、というべきでしょうか。

私だけがそうなのかと思うのですが、どうも私は、目的と手段を履き違えます。

英語、私も勉強しているのですが、どうして英語を勉強するのでしょうか?最初のうち、私はその質問に答えられませんでした。ただ、やりたくて、という感じだったのです。

もちろんそれでもいいのでしょうが、私は、もともとそういえば何で英語をしたいんだっけ?と、戻ってみました。

私はもともと、英語の文献をできれば二日で読みたかったのです。仕事上、英語文献が読めないと話にならないし、それに1ヶ月もかけているのは最初の要約(=abstract)の内容を忘れてしまうので意味がないと思ったからです。

余談ですが、英語のペーパーバックなんて、1年かけて読み終えないものもあります。

それで、一発奮起して、毎日英語を読みました。そして、書きました。
ちなみにまたまた余談ですが、意外とニンテンドーDSが役に立ちました。ソフトの「英語漬け」がいいですよ。

そんな、こんなで半年でしょうか。

今は、その過渡期でしょう。
英語文献を読了するのに、一ヶ月はかかりませんが、それでも4日から1週間かかります。

今後はもっと速くなるでしょう。

ここで、私ははた、と気づきました。英語の文献読んで、それでなに?と。

それが、外来に、目の前にいる人に役に立たないと意味がないです。

それを思い出して、また英語をしています。

でも、この長い例のように、手段と目的がごっちゃになることって、多くないですか?

文字は道具だから、そこに書かれていることがわかっても、それを使えないと意味がない、それが私はなかなか実感していないということでしょう・・・。

0 件のコメント: