先日、勤務先の精神科病院に学校の先生が来ました。
いい先生です。担任の生徒のためにわざわざこうしてきてくれるのですから、いい先生なのです。
ところが、御謙遜で「専門家の先生には、及びませんが」と何回かおっしゃるのです。気になってしまいました。それって、どういう意味なんでしょうと思いつつ、「私は、一応発達障害の子供たちの専門家、ということになっているようですが」と言いました。
「発達障害、と一口で言っても、すでにいろいろな人たちがいるのです。アスペルガー症候群、自閉症、など他にもありますが、もう二種類です。
それだけではなくて、発達障害というのは、ある種の『色合いの違い』でしかないので、10人発達障害の子供がいれば、10通りの暮らし方や、理解の仕方、楽しいと思うこと、こだわりがあるのです。
例えば、色彩学でいう『スペクトラム』というものです。黒がいいとか白がいいとかそういう意味ではありませんが、黒と白の間にはさまざまな色合いのグレーがあるのです。隣のグレーとこのグレーは似ているかもしれませんが、違います。まして、白に近いグレーと、黒に近いグレーとは、全然違うのです。
私は専門家といわれていますし、自称もそうなんですが、私はこれらの人すべてがわかるわけではないと思っています。無責任ではなくて、ただ、理解できない部分があって当然だと思っているという意味です。わかろうとしてはいますが、わかりきれるものではないですよね。
専門家と自称するゆえんは、じつは、どれだけ発達障害の人に出会っているかという数の問題と、その人たちとどのくらい長く交流できるか、外来に来てもらっているか、というこの二つだと思います。
この点においては、私はおそらく多い部類に入ると思います。だから私は、わかりやすい意味で『専門家』を自称するわけです。
数多くの発達障害の人に出会い、長い間交流していると、そういう経験をしていない人たちとの間に情報の差がつくと思います。それを埋めるために、私はこうして学校の先生や親御さんたちと話をしているというわけです」。
その先生は、うんうんとうなづいて、おられました。そして、帰りしなに「また、うかがってもいいでしょうか」とおっしゃったのです。
ぜひどうぞ!!二つ返事の私でした。
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