2008年9月28日日曜日

すくーるhana便りから

 http://blogs.yahoo.co.jp/hanaotoiida/16885303.html

 知人のブログです。私のリンクにもあります。

 私が大学生=医学生だったころを思い出した記事でした。というのも、ほんとうにひどい学生だったからです。明確な目的のある学部だったのにもかかわらず、私はいちいちの行動に自分がなかったのでした。
 
 どういうことかというと、好きで医学部に入ったわけではなかったのです。私の父親が医者になりたくてもなれなかったのを、私に押し付けていた、という認識のもとにいたわけです。現実にそのような面はあったかもしれませんが、私自身にも、父親の希望が自分の希望と重なる面があったからそうしたのだろうと今は思いますし、父が押し付けていなければ私は医者になっておらず、今こうして精神科医として楽しめる毎日がおくれていたかどうか・・・。

 医学生当時は、この記事にあるような、「学習することは、いままでの自分と違う自分になること」
 「それ以前の自分とは違う自分に、生まれ変わること」や課題を乗り越えたら新しい自分になることができた、という実感はありませんでした。

 ただ、毎日「自分はなぜここにいるのか」を考えていました。結論は出ないままでした。

 当たり前ですよね。結局自分で選んでもいたのに、それを否定しているのですから、考えが堂々巡りになるだろうと思います。

 6年間ずっと、医学部での学習は楽しめるものはほとんどなくて、人の体に針を刺すとか、メスを入れるとか、そういう行為が怖くて、自分には無理だと思っていたのでした。

 気に入った科目は、二つだけでした。精神科と法医学。この二つは、勉強していても楽しかったのです。この二つの科目では、人を人として見つめているという気がしたのでした。

 精神科のほうは、私が今まで、そしてこれからも書く通りでしょうが、法医学はなぜ?と思われるかもしれません。

 法医学は、人がどんな生活をして今の「死」に至ったかを突き詰める学問だと私には思えたのです。どんな生活をしているのか、どんなふうに感じていたのかまで読み取れれば人間が何かということが分かるかもしれないと思ったのでした。

 結局は、医学部の卒業と同時に選んだのは、自分の責任においてではなく、またもや父親の意向で選んだ場所でした。その後私は、その場所をやめて、父と大喧嘩をして精神科医になったのでした。

 医者になってからのほうが、やるべき課題が見えて、本当に楽しかったです。そして、学習したことで自分が変わるという感覚、課題を超えたことで別な見方ができて、別な自分になれたという感覚がつきました。

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