2008年8月8日金曜日

原爆投下について思いをはせる


 今月は、終戦の日があって、原爆投下された日もあります。

 
「心の傷、受け止めて」 精神科医の中沢正夫さん インタビュー企画「平和へ-思い伝えたい」


記事:共同通信社     提供:共同通信社

【2008年7月17日】


 被爆体験をたどり広島を旅した男性に、突然よみがえる記憶の断片。何時間も動けず、涙があふれる-。被爆者の「心の傷」と向き合う精神科医中沢正夫(なかざわ・まさお)さん(71)は「こんなにひどくなるものかと思った。心的外傷としての被爆体験はすさまじく、大きい」と語る。


 知っているようで説明できない傷を「誰でも分かる言葉に置き換えて、世の中の人に理解してもらいたい」。丹念に被爆体験を聞き、「ヒバクシャの心の傷を追って」を書き上げた。


 約30年前、東京の代々木病院に赴任、被爆者と接する転機になった。被爆者医療の中心施設で、病院で開かれる研究会にも熱心に参加した。


 数年たって被爆者の精神障害の症例をまとめようとした矢先、先行論文がほとんどないことに気付き、がくぜんとした。「なぜ日本の精神科医は、こんなにも被爆者への関心や興味を持たなかったのか」。心の傷に取り組むきっかけになった。


 つぶれた家の下敷きになった母を「見捨てて」逃げた体験、託された幼い姉妹を助けられなかった苦悩、家族と識別できない遺体を焼き、涙も出なかった記憶?。


 未曾有の惨状は人間らしい感覚をまひさせ、目にしたはずの記憶にふたをしていた。震災や事件の心的外傷後ストレス障害(PTSD)と似た症状の発現は予測できたが際立った違いがあった。


 被爆者には放射線障害の恐怖が付きまとう。「知人の死や自身の発病で"あの日"に引き戻され、今も大きな『余震』が続いている」。心の傷はむしろ深くなる。原爆が持つ悪魔性だ。


 被爆後63年たっても思い出すのがつらく、語れないでいる被爆者は全体の半数程度とされる。ただ、高齢化とともに意識の変化も見え始めた。


 「何のために自分が生き残ったのかという思いが強くなっている。少しずつ話し、語り部になったり、(平和)活動に参加したりすることが傷を癒やすことにもなる」


 核兵器が二度と使われないよう、被爆者には語ってほしい。「そのためには、話をじっくり受け止める機会をつくらなければいけない。最初はすべてがありのままでなくてもいいから、受け入れて聞くことです」



(以下、psycho)

 最近の新聞記事(朝日新聞8月7日朝刊)で読んだのですが、被爆した人たちが差別を受けていた、ということでした。

 いつもありきたりな私の驚きの表現で悪いんですが、がーんときてしまいました。いったいなぜ、と・・・。


 なぜ差別しなくてはならないのか。必要性ではないでしょう。そう思いたいです・・・。でも、何故かしら差別してしまったのでしょう。これは、言い訳などできない話だと思えるのです。


 私は、日本人として、原爆投下を受けた、ということは絶対に忘れてはならないと思っています。そして、被爆して生存している人たちに対して、医学、生物学的な苦労に対して、そして、生活のもろもろの苦労に対して、想像を絶するという点において、敬意を払っています。


 でも、差別もあったのです。ひどい、としか思えません。同情と自分では思いたくないのです。


 そして、精神科医という自分自身を振り返って、この記事を読んで言い訳をしました。私は、被爆者の人たちの精神疾患に対して、無視していたわけではなくて、ただ、どうしたらいいのかわからなかったのです、と。

 被爆した人たちを差別する人も同じことを言うのだろう。そう思うと、自分に、自分の発言に吐き気もした。

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