2008年10月15日水曜日

「なかったこと」の心理

村上春樹と橋本治 (内田樹の研究室)





 内田樹さんのことは、おもしろい人だなあと思っています。私にはうまく言葉にできないことを、言葉にして、まして本にしているからですが。それでいて私の、苦手な学校の先生(大学教授だから)。

 しかし、このブログの何日か前に村上春樹がノーベル文学賞を受賞したとしたらという、予定原稿を渡したというくだりがあって、これはその続きなのです。http://blog.tatsuru.com/2008/10/09_1307.php 

 私の橋本治体験も、内田さんが日本の批評家を嘆いているように、ない・・・。ゼロ。自慢ではないがゼロなのです。

 なかったことにするのには、二つの心理があると思えます。
(1)無視、つまり「おれのほうがすごいから相手にしないよ」という尊大さ、と(2)畏怖です。

 余談だが、私は橋本治を「なかったこと」にしているつもりはないのです。したがって、この(1)も(2)も当てはまらないのです。でも、私は(2)の畏怖というか、すごいものに出会いそうだ、という怖さを橋本治に対してもっていて、だから、近づけないで今に至っているのでした。

 おそらく、内田さんが指摘する日本の批評家は自分では(1)のつもりなのだろうけれども、私から見れば、それはじつは(2)なのです。 
 
 自分のそれまでの蓄積を否定されるような怖さがあって、「なかったこと」にしているのではないでしょうか。内田さんはそれをずばりと指摘していないですが(これが内田さんの優しさといえないでしょうか)、そう言いたいのでは・・・。

 あるものを「なかったこと」にするには、(1)か(2)の態度をとることが多いような気がしてしまいます。そう、その態度は多くは、依存症の人たちがもっているのです。

 彼らも、自らの依存症という病を「なかったこと」にしようとしていますが、結局は、そうはなりえません。(1)のつもりでいても、結局(2)に至ってしまう・・・。

 面白いなあ、と私など彼らを診察していて思ってしまうことがあるのですが、そこが彼らのかわいいところでしょう。かわいい、というと馬鹿にしているように聞こえるでしょうか?では、「素敵」と言いなおしましょう。本当に依存症の人は素敵なのだから。

 それにしても、内田樹さんのブログのトラックバックの方法が分からず、勝手に載せてしまいました。すみません。

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